過去の自分と対話する仕組み。

昨日のこの記事を読んで、

書き続けることで見つけてもらう。 | カジケンブログ

NHNのWebディレクターである森内さん(TechWave塾の同期)から、「ピュアすぎるブロガー!」とコメントもらいました。褒め言葉と受け取り、ブログのサブタイトルにさせていただきました!(`・ω・´)ゞ


↓森内さんのブログ面白いです。この記事とかバズってました。




昨日書いたネットに自分の分身を置く、ということの効用について追加でもう一点書きます。以下、MIT石井裕教授のインタビュー記事から引用。

ツイッターは、普及したとはいえ、まだ十分に定義されていないメディアです。新しく生まれたメディアに対して、使う側はいろんな実験ができます。とくに僕はメディアを研究している立場ですから、みなさんが考えるソーシャルメディアのイメージの枠を超えるようなさまざまな方法を試しています。

 

ツイッター上に、僕が作った母親のお墓があります。それは地上ではなく、雲(クラウド)の上にあります。ツイッター上に母のアカウントを作り、母が作った短歌をそこからツイートしていた。そうしたら、母の命日にお花が届いたんですよ。

 

この出来事に、僕は本当に心を動かされました。亡くなったはずの母がよみがえったような気がしたからです。

 

僕はあと20年くらいでこの世からいなくなるでしょう。しかし、僕の言葉を僕のBOTがつぶやいてくれれば、僕はそこで永遠に生きられるというわけです。今私@ishii_mit は私のBOT @ishii_mit_BOT とツイッター世界でコラボしています。

変化のベクトル、未来のコンパス~MIT石井裕教授インタビュー 前編 | プレタポルテ by 夜間飛行

実際、石井教授は本当に自分のBOTのつぶやきに対して、自らのTwitterアカウントからコメントをかぶせ、さも昔の自分と会話しているようなツイートが結構あります。

これ、かなりいいアイデアだなー、と思いました。

人間、ちょくちょくやってしまう勘違いの一つが、自分は昔から今と変わらない自分である、という認識です。

日記をつけている人は分かると思いますが、自分というのは外見だけでなく、内面も日々変化していきます。そのことは数年前の日記を読み返したら簡単に理解できます。

日記をつけていない人でも、例えば10年前の自分を振り返って、今と全く同じ自分であると言い切れる人はいないと思います。要は植物の成長と一緒で、日々の変化が極小なので一日毎の変化量を自覚できていないだけ。毎日の経験が何らかの影響を与え、ほんの少しだけど1日前の自分とは違う自分になっている。結局はその積み重ねでしかありません。

そう考えると過去、現在、未来の自分は、同一のものではないという意味で、それぞれ互いにとって他人であるとも言えます。

一方、過去から未来へ自分が望んだ変化(成長と呼んでも良いです)を続けられるのであれば良いですが、人間そんな都合よく変われるのであれば苦労しません。

自分の身に何が起きるかは当然100%コントロールは出来ないですし、色んなことに流されて、当初決めていた方向に全然進んでないやん、みたいなこともあるでしょう。

でもそんなとき、過去の自分と対話できたら?

例えば、宴会続きで自分が決めていた習慣を継続できていないときに、自分のBOTからこの記事が流れてきたら・・・

習慣に休日はない。 | カジケンブログ

個人的にはかなりこたえますね・・・だって、他の誰でもないかつての自分が言っているわけですから。

もちろん、そもそも自分の目指している方向や価値観が変わったりすることもあるので、その場合は過去の自分との対話をある意味自らの成長の度合いを図る機会としても良いですね。

石井教授の高邁なお話から、ものすごい卑近な話になってなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいですが、でもこの

過去の自分と対話する仕組み

って、すごくイイんじゃないかと思います。

それも日記みたいに能動的に開かないと読めないものではなくて、Twitterでランダムに記事がプッシュで強制的に送られてくるような仕組み。

そういう意味でもネット上に自分の分身を作るって面白いし、役に立つと思います。紙に日記書いてるだけだとこんなの出来ませんからね。

まだ記事数も少ないので今すぐではないですが、1年ぐらい継続できたら自分向けにBOTを作ってみても良いかなーと思いました。







ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)