自分の心に素直になろう。
とか
自分が本当に望んでいるものに耳を傾けよう。
とか
よく耳にします。
同調圧力が強い日本では、周りに出来るだけ迷惑を掛けないように、空気を読んで行動することが求められるので、余計に心に響くのでしょう。
しかし、今夜の晩御飯に好きなもの食べるとか、そういう周囲に全く影響与えないレベルのささやかな望みだったら別に構わないでしょうが、他者が絡まない自分の力の範囲内での話なんて、できることは非常に限られています。
だから、結局何をするにしても基本的には誰かに協力してもらう必要があります。
「心に素直になる」「望んでいるものに耳を傾ける」って、言葉自体の耳障りも良いので、そうだそうだ!そのとおりだ!とついつい思ってしまうのですが、冷静に考えたら自分の欲求に周囲を巻き込むという意味で、
「わがまま」と紙一重ですよね。
要はもっとわがままになれ、と言われてるともいえるわけで、そんなピュアな話では実はないんじゃないかと思います。
日本人でも、ぐいぐい人を巻き込んでいくのが得意な人(俗にリーダーシップがあると言われるタイプ)は、たくさんいます。
ただ少なくとも自分が今まで見てきた人は、ちょっと天然というか生まれ持っての素質で動いている人が多いように思います。たぶん子供の頃からずっとそういうポジションだったり、末っ子で人に甘えるのが天才的に上手だったり。
だけど欧米などで見られるような、異なるバックグラウンドを持つ人たちが、各自の主張をがんがんしつつ、どこで折り合えるかを議論していく文化と違って、日本の場合はやはり周りの空気を読まずに、自分の主張や欲求を通そうとすることは、多くの人にとってなかなかやりづらい行動形式だと思います。
で、結局は
相手に迷惑を掛ける(かも知れない)から、やりたいことをやらない、言いたいことを言わない、お願いしたいことをお願いしない、
という風になりがち。
一方で、昔はそんなに主張をするタイプではなかったのに、ちょっと見ない間に非常にうまく周りを巻き込んでやりたいことを進めるようになった人も、周囲には結構いたりします。
そういう人の共通点は、
相手に迷惑を掛ける(かも知れない)から、やりたいことをやらない。
じゃなく
やりたいことをやるために、相手を巻き込むときにはあらん限りの気を配る。
という行動様式を身につけたように思えます。
自分の望みのために他者に迷惑を掛けないような実力を必死でつけることだったり、
相手が力を貸してくれることに対する心からの感謝や気遣いだったり、
相手の願望も同時に満たせるような共通のゴール設定を見つけようとする姿勢だったり、
(理解してくれる人がきちんといれば)部外者である周囲の人たちに変に思われたり、嫌われたりすることを恐れない心構えだったり。
とにかく、自分の心にわがままであると同時に、徹底的に相手に対する気遣いもする。
自分の望みを叶えるというわがままだけでなく、さらに人を巻き込んでその人たちにも迷惑を掛けないようにする!できればその人たちが自分自身ですら想像できなかったような境地に連れて行ってやる!
というある意味、自分と相手に対して二重のわがままを通そうとする人、という感じ。
自分の心に素直にと言いながら、なかなか一歩を踏み出せない人は、逆にいうと、そういったものを備えたり、引き受けたりする覚悟がないことが多いような気がします。
だからそこまで覚悟ができないかぎり、
自分の心に素直になろう。
って、ただの耳障りの良いゆるふわっとした言葉でしかないかも。
わがままを通すこと vs 相手の迷惑・負担でバランスを取るのではなく、
わがままを通しつつ + 相手を最大限慮り、かつ満足させてやるぜ!という、めちゃくちゃわがままな姿勢。
でも、自分の心に素直になる、ってそれぐらいわがままな、そして結構(良い意味で)凄い行為なのではないかと思います。
@kaji321さんをフォロー