昨日の補足です。
ブログを書くことは子供の頃に身長を記録していたがごとし。 | カジケンブログ
ブログを定期的に書くことが、自分の成長を客観的に把握するのに役立つことは分かったけど、べつに毎日のようにつけなくてもええやん。
って思いません?
いや、思わなかったらそれで全然良いのですが(笑)
自分を鍛えてくれる環境を常に意識し、そこに毎回毎回躊躇なく身を投じられる人もいますしね。そういう方には当てはまりません。
で、そこまではちょっと・・・という人にとっては、昨日書いたように内省する習慣は大事ではないかと思います。
日記でも何でもいいのですが、例えば私の場合はブログ。で、どうせ書くならブログはできれば頻度が高いほうが良いと思います。可能なら毎日。
なぜか。
子供は勝手に成長するけど、大人はしないからです。
わけが分からない?(笑)
大人はなぜ勝手に成長しないのか?
子供の身長が伸びることは、大げさにいえば、DNAに刻み込まれた「生物として不可避」なことです。
もちろん途上国で食べるのにも困っている子供たちや不幸にして病に犯され、体が大きくならない子供もいると思います。
ただ日本で暮らしている限り、ほとんどの方は、まともな食事を取っていれば、身長は伸びます。極端な言い方をすれば、
「勝手に」伸びます。
だから、子供の身長の記録は毎日でなくても良いわけです。定期的でさえあれば。なぜなら勝手に成長するのだから。
しかし、大人は肉体的にも精神的にも、ありとあらゆる面で、「勝手に」は成長しなくなります。
これは人間の歴史を考えれば、ある意味仕方ないことかも知れません。
2,000年ほど前、人間の平均寿命は20~30歳ぐらいでした。
栄養状態と医療技術の飛躍的向上により、平均寿命は例えば日本において一気に倍以上になりましたが、人間の身体的成長を司るDNAが進化したわけではありません。
つまり、20~30歳よりも前に身体的な成長のピークが来て、以降は「勝手に」は成長しなくなるのは、ある意味では当たり前のことなのです。
精神的にもそれは変わりません。例えば、世界の三大宗教は全て約1,500年~2,500年ほど前に前後して始まり、以降それらを超える規模で普及した宗教はありません。(三大宗教以外で9億人の信者がいるヒンドゥー教も2,500年以上前)
宗教とはよりよく生きるための人生の指針。死ぬまで追求し続けるべき人間の在り方を定義したものと言えます。それらがここ2,000年で代替のものが出て来てないということは、人間は精神的にも基本的な特質においては、昔と全く変わってないと言えるでしょう。
要は、人間長生きするようになったけど、中身は何にも変わってないということ。そして、昔に比べて長生きするようになった分は、生物的には何の保証もしてくれないので、あくまで自己責任よ、と。そういうことなわけです。
すいません、長々と書いてしまいましたが(汗)、何が言いたいかというとですね。
(勝手に成長することがなくなった)現代の大人は、
「自分の成長を自分でデザインし促進しなければいけない。」
ということだな、と思うのです。

内省する仕組みをもっておく。
そしてそのためにブログは最適なツールの一つです。
なぜなら「勝手に」成長しないのであれば、常に生活の中で、自発的に成長を意識する必要があるからです。
ブログを書くと必ず自分の日々の活動を振り返ることになります。
今日は有意義な日だったのか。
学んだことは何で、反省すべきことは何か。
何がうまくできて、何ができなかったのか。
そもそも自分は何を目指しているのか。
その目標のどこまで来ているのか。
つまり、自分は今ちゃんと成長に向かってるのか、と。
否が応でも、内省せざるを得ません。
そしてこの行為自体が、成長を促す一番の行為であると思います。
それほど、内省の力は大きいです。
有名な話ですが、かつて体育教師であった原田隆史氏が当時荒れていた大阪市公立中学「松虫中学」の陸上部を建てなおして、7年間で13回も陸上部を日本一に導いた方法論の一つも、生徒に毎日日誌を書かせたことです。
この内省が日々の生活の中で習慣化されているのとないのとでは、成長のスピードは全く変わる。
で、そんなに強力なものを1ヶ月に一回とか、もったいなさすぎる。
月に一度よりは、週に一度。週に一度よりは、毎日。
そのほうが確実に成長が早くなるわけです。
だからこそ、毎日ブログをつける意味があるのです。
もちろん、ブログでなくても構わないと思います。内省を毎日繰り返すことを日々の生活に仕組み化すること。
そのことが、どれだけ大きな力を生み出すのか、実感する日々です。
たまには我が身を振り返って確認しておきたいもの。
大人になっても勝手に成長すると思ってない?
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