最後はかならずシュートで終わろう。

サッカーで解説者が

「最後はかならずシュートで終わろう。」

と言ったりします。(一部の解説者は多用しすぎかも知れませんが・笑)

alloa v stirling IX_MMVI
alloa v stirling IX_MMVI / andronicusmax


シュートを打たない限りは点を入らないし、点が入らなければ試合には勝てない。だからゴール近くのシュートが狙える位置まで来たのであれば、不利な態勢であったとしても出来る限りゴールを狙いシュートを打つ姿勢が大事だということですな。

もちろんゴール枠を遥かに外してもとにかく打ちゃー良いんだという姿勢は論外でしょうが、例えば別のスポーツでバスケとかでも、攻撃の持ち時間(NBAだと24秒)が切れる寸前はどんなに無理そうでも基本的にシュートを狙います。

点を取ることが勝利の必要条件である以上、その点を取るための唯一の手段であるゴールを狙う回数を出来る限り増やす、というのは当然の姿勢。

そしてこの意識がチームで共有できていると強いし、メンバー同士互いにプレーもしやすいでしょう。

 




ビジネスの世界においても、例えば会社に勤めていれば、会社全体のゴールから逆算して各人の役割と目標が決まっているわけで、仕事上の打ち合わせをしていても、そこの意識が揃っている人たちとはとてもスムーズに色んなことが進んでいきます。少なくとも自分が身を置いてきた組織はみなそんな感じだっただけで、もしかしたら私がとても恵まれていた/いるのかも知れませんが。

翻って、ビジネスの世界から視線を移し、プライベートの飲み会や人との会合などであっても、自分が気持ち良いと感じるものはこの姿勢を参加者みんなが持っているときが多いです。

具体的には、どんな話題であっても、

その話題に対して主体的に自分はどう関わるのか?

もしくは

その話題により、自分の行動やあり方をどう変えるのか?

自分の外部が対象なのか/自分自身が対象なのか、の違いはあれど、その会合の前と後で何か変わったものはあるのか?変えようと決めたものはあるのか?

ということですね。

もちろん必ずゴールが決まるわけじゃないけれど、少なくともシュートを打とうとしているかどうかの姿勢って、一緒にいたらだいたい分かります。

飲み会や会合によっては、

– パスだけ回して全然ゴールに向かおうとしないものや、

– そもそも試合すらしてなくて、観客席から観戦しているようなものや、

– 果てには、観客席から誰かの試合にヤジを飛ばして溜飲を下げる、ごときの会合まで・・・

いやもちろん友人と旧交を温める、みたいな時など、アホみたいに飲みながら昔話に花を咲かせる!とか、ひたすら馬鹿話で盛り上がる!みたいなのも私は大好きですが、そればっかりやってたらダメですよね。

常にシュートで終わろうとする仲間に恵まれていることは、とても幸運なことだと、最近よく思います。




ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)