昔から、ゾクゾクっとなんとも言えない感情を持つ時がきまってあります。
それは、友人や知人と久しぶりに話をしたら、
「ええぇ!? あれ、まだ続けていたの!!?」
と叫ぶようなことを教えてもらった時。
例えば、
語学を始めて5年経ったら、ある言語がペラペラになっていた
とか
定期的に継続していた勉強会の参加者が凄い規模になって一大コミュニティになった
とか
健康のために始めたスポーツで、もの凄い大会に出るようになった
などなど。
器が小さい私は、彼ら彼女らが最初に始めた当初は、色々心の中では疑問を持っていたりします。
(ふーん。そんなの今さらやって、意味あるのかなぁ?)
(どうせ続かないでしょ。)
(もっと他にやるべきことあるんじゃないの?)
例がしょぼくて恐縮ですが、原体験は自分が中学だったか高校生の頃。
父親が「真向法(まっこうほう)」という柔軟体操を毎朝始めたことがありました。(*注 宗教ではありません・笑)
メタボ君が行く!エンジニアの癒しスポット体験取材 第6回「What’s 真向法?」 | 日常を楽しむ | エンジニアLive | 極上のエンジニア人生を応援するWebマガジン
思春期だったこともあり、私はちょっと、いや相当、心の中でバカにしていました。
はぁ? 柔軟体操? そんなん何の意味があんねん? アホちゃうか?
仕事の関係で毎朝5時過ぎには自宅を出る父親だったので、体操をする姿を見かけることはほとんどなく、また別に興味も全くなかったため、そんな体操を彼が始めたことすら全く忘れて、いつの間にか私は東京の大学に通い始めていました。
そして、その年の夏休み。
帰省して久しぶりに家族と話す中で、なんとなしにその話になり、そういえばどうなったん、あれ?と聞いてみたら・・・
あのガチガチに体が固かった父親が、床に座ったまま足を180度開脚し、股関節から上半身全てが、びたーんと床につくようになっていました・・・
長い歴史を持つ健康法のためか、おかげで父親はそれ以来、健康そのもの。
(それから顔を合わせるたびに、お前もやれと薦められるのですが、負けた気がするので意地でもやりません・笑)
たかが柔軟体操ではありますが、ただあのときに感じた、たゆまず積み重ねてきた月日の重み。毎日積み重ねていった山の遥かな高み(大げさ?・笑)をまざまざと見せつけられた感じ。あの感覚は今でも覚えています。
Peak Pobeda,托木尔峰 / The Real Kvass
まー、私の父親の真向法は例がしょぼすぎるので、置いておいたとして・・・
それから何度も色んな場面で、コツコツと築き上げてきたものから生まれる他者の成果を目撃しました。そのとき沸き上がってくる心の中の言葉は、
いいなー!
むむー!
すげー!
くそー!
羨望と嫉妬と尊敬と悔しさが入り混じったあの独特の感じ。
時を味方につけ、そして今から真似しようと思っても絶対にすぐには追いつけない。
あの何というか過ぎ去った時を取り戻せない、置いて行かれたような、なんとも言えない感覚。
そういう意味では、私にとっての積み重ねているものの一つはこのブログです。
とりたててPage ViewやUnique Userの指標は設けていませんが、RSSの登録者やFBページのいいね!数は、更新を毎日継続していくうちに確実に増えていくでしょう。それは私が繋がることができる人の数が少しずつ増えていくことでもあります。
もちろん一日一日ではたいしたことはありません。しかし続けていくことで、時を味方につけ、それはやがてより高く、より大きくなっていく。
ブログに限らず、そういった蓄積していくことで価値が増していくものをいくつ持てるか、が長期的に見て自分の人生に大きな影響を与えていくのだと思います。
もし信じることがあるなら積み重ねるべき。
バカにする人? ほっとけばいいんですよ。
高みを築いたときに、あの感情を味わうのは、まさにその人たちなのだから。
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