国同士が揉めている今、個人として意識しておきたいこと。

最近、隣国(中国、韓国)と領土について揉めることが増えています。

相手政府が内政問題の目をそらすために利用していたりする部分もありますが、ここ数年で一気に顕在化してきている要因の一つは、グローバル化です。

つまり、

(かつての)先進国と(かつての)新興国の国力が均衡してきている、からです。

グローバル化という大きな流れが不可避である以上、一朝一夕では解決は望めません。短期・長期に切り分けて、どういった対策を進めていくか議論を尽くして、冷静にかつ粘り強く進めるべきでしょうし、実際に関係する人達は努力を積み重ねていると思います。

一方、政治から個人に目を移してみると、隣国との国民感情がどんどん悪くなっています。

ドイツとフランスの例を出すまでもなく、隣国同士は対立しやすい。また政府による反日教育の影響も大きいでしょう。しかし、日本から相手国への印象は、これまではそこまで酷くはありませんでした。それが最近一気に悪化しています。

先日もある友人と話をした際に、

「え?中国人?なんかデモとかしまくってて、ちょっと怖い・・・」

みたいなリアクションが返ってきました。別に強く忌避するような感情はないけれど、出来れば関わりたくない・・・そんな感じ。そらそうです。あんなデモの映像見せられたら、誰でもそう思います。自分も映像には正直ひきました。

でもデモはあくまで一部の人達であって、冷静な人も多いらしいよ?と返しても、

「いや、仲良くはなりたくないなぁ・・・」

つづけて、怖がっている友人に、じゃあ中国人の知り合いとかいるの?と聞くと、

「いや、いないけど。周りにおらんし・・・」

感情の濃淡に違いはあれども、実際は、相手国も同様ではないでしょうか。

いや例えば、直接の知り合いや友人に嫌な思いをさせられて、もう勘弁だ!みたいな人はいいのです。でもそうでないなら、個人的にはもったいない!と思います。

まず最初に意識しておきたいこと。

身も蓋もなく冷静に考えると、本来であれば、その国の「政府」とその国の「個人」は別々に捉えるべきです。

例えば、

1) 「X国の政府」がやっていることは好き or 嫌い

それとは関係なく、

2)「 X人のAさん」のことは好き or 嫌い

になるはずです。国だと分かりづらければ、都知事と東京都民に差し替えてみたら理解しやすいかも。

ところが、両国の多くの人が、(なんとなく)政府=個人になっているように見えます。

政府が対立する → 相手国の政府の対応に反感を持つ → それを行動に移す(デモなど)→ それをTVで観てネガティブな印象を持つ → なんとなく避けたい・・・

政府はその国の代表であることは当然なのですが、とはいえその国には色んなタイプの色んな考えを持った人が本来はいるわけです。

にも関わらず、元々の出発点である政府の行動とメディアを通した印象により、実際個人として互いを知っているわけではないのに、個人に対する印象に悪影響を与えてしまっている。それが現状です。

でもしゃーないやん!なんか気持ち的にそんな感じやねん!という声もよく分かります。

なぜそうなるのか?

人間はよく分からないものを、そのままにしておくが出来ない生き物です。だから今自分が持っている情報を元に何かしらのラベリングをしようとします。テレビやネットからの二次情報しかなければ、当然それらの情報を元に印象が構築されるでしょう。

今までは仕方なかったと思います。

なぜなら、二次情報(メディアからの情報)を上書きする一次情報(自分が体験した情報)を得る機会がほとんどなかったからです。

要は、リアルな知人・友人がいれば、その人達の印象が優先するけれど、なかなかそうもいかないよねと。

人と人が出会って、理解を深め、関係を構築するには、出会うという「きっかけ」と、関係を深めるための「継続したコミュニケーション」が必須です。

しかし、日本は地理的に四方を海に囲まれているため、普通の個人が日本以外の国の人と「出会い」、「継続したコミュニケーション」を取るのは、大変でした。だって国の外に出るのに飛行機必須なんですよ!そら厳しいわ!

もちろん一旦、海外に出て人間関係ができてしまえば、昨今のネットの発達により、その後離れ離れになってもコミュニケーションを継続するのは比較的容易になりました。だけどそういう人は限られます。帰国子女、留学、海外派遣などを経験している一部の人以外は、自分は外国人の友人は(まったく/ほとんど)いない、という人はまだまだ多いとおもいます。

ではこれからはどうでしょう?

冒頭に書いたように、今起きていることの一端はグローバル化です。

これから新興国の経済力があがり個人の所得も上がることで、国をまたいでの移動がますます活発化するでしょう。確実に、違う国の人達と「出会う」きっかけは増加します。日本からの出国もLCCの登場により一気に敷居が下がり始めています。

そしてアジアだけでもおそらく10億人以上の人達がこの10年以内でスマートフォンを持ち始めます。今私たちが毎日スマホ上のFacebook、LINEで友達たちとやり取りしているような「継続したコミュニケーション」を取れるインフラが整う。

つまり、人が出会い、そしてその後継続的な関係を持つことが、以前に比べて遥かに簡単になりつつあるのです。

これから国を超えて国籍を超えて、飛躍的な数の交流が起こってくるはず。それがグローバル化が個人にとってもたらすインパクトの一つです。

では、それがいったいどういう意味を持つのでしょうか?

ソーシャルキャピタルという考え方があります。
(学術的な定義は様々あるようです。ここでは、下記の書籍から内容を緩用します。)



 

これは多様なコミュニティに属しているほど、その人が得られる価値が増える、という理論です。

むっちゃ極端な例をあげてみます。

外部との交流がない3人の村があったとします。



この村に住んでいるAさんがつながっている人は2人です。Aさんが2人が困っているときに誠実に対応をしていれば、Aさんが助けを必要とした時に2人もサポートしてくれるでしょう。

一方は、Aさんが繋がっている2名がそれぞれ別の村(3人で構成)の住民だった場合。



繋がっている人の数は同じ2人ですが、彼ら彼女らの先にはさらに2名ずつ人がいます。もしAさんが困っている時に、Aさんが誠実な人であれば、他の2名は自分の村の人にも声を掛け、Aさんを助けられないか試みるでしょう。逆もまたしかり。

そうすると、実質的には2人+2人+2人 = 6名の人達と繋がり、助け合うことになります。

最初の例を、閉じているネットワーク。次の例が、開いているネットワークです。もちろん開いているネットワークのほうが、様々なサポートを得られやすいわけです。

現実的には、ここまで極端な例はありませんが、イメージはつかめると思います。

100年前の日本は、生まれた土地から生涯出ることなく一つないしはそれに準じるコミュニティ(閉じているネットワーク)に属して一生を終える人がほとんどだったでしょう。

それから、高度成長期を通して、経済的に豊かになり、都市化が進み、交通手段が発達しました。特に国内での移動は飛躍的に活発になりました。個人旅行は当たり前。

そして今。この数十年で日本で起きたことが新興国で起き始めています。

つまり、今までは考えられなかったような、飛躍的に多様なコミュニティに繋がることができる土台が整いつつあるのです。

それでお金が稼げるようになるかは私には分かりません。だけど、様々な価値観に触れることで、自分自身が磨かれていくことは確実です。

結局この環境をどう活かしていくのかは、我々一人一人次第なのだと思います。



この環境を活かしていくために、必要なこと。

先日来日したIMF専務理事の言葉が的確です。

以下、Market Hack (外国株ひろば version 2.0)より引用です。

インターネットによって世界と「つながる」というのはTransformational experienceだ。しかしそれは同時に怖い事でもある。我々はどうやってこの脅威を乗り越えればよいのだろうか?それには:

1. ダイバーシティの豊かさ
2. リスペクト(相手の尊重)
3. トレランス(相手の許容)

が必要になってくる。特にwelcoming of difference(相手が自分と違うことの歓迎)という態度が大切だ。

その通りだと思います。

大切なことは、多様性を認め、受け入れること。本稿の内容に沿って付け加えさせてもらえるなら、自分がどんな先入観を持っているのかをきちんと自覚していること。そしてそれを、自らの直接的な体験で上書きしていくちょっとした勇気、ではないでしょうか。

ではなぜ隣国が大事なのか?

日本に訪れる外国人の内、76%がアジアからの訪問者です。



アジア内での移動に掛かるコストの安さ(LCCなど)や、新興国の経済成長による個人所得の更なる上昇を考えると、この比率は上がりこそすれ、しばらく下がることはなさそうです。

そしてアジアからの訪問者のうち、半分以上はお隣の中国と韓国から来ています。

異文化理解みたいな話って、一番良いのは海外に住むことですが、ハードル高い。

現実的に考えて、日本人の大半ががんがん海外にいきなり住むようになるとは考えにくいです。であるならば、まずは国内で、様々な外国人と交流することは、最初のステップとして非常に良いのでは?

例えば、日本に暮らす外国人207万人の内、一番多いのは67万人で中国国籍の人達です。

図録▽外国人数の推移(国籍別)| 社会実情データ図録

何かしら日本に興味や縁があって住んでいる人がほとんどなので、相手国のマスメディアの影響も少ないですし、都市に住んでいれば、友人の友人ぐらいできっといると思います。

実際、中国人留学生たちや日本企業に就職している中国人のハングリー精神や価値観の違いには、むちゃくちゃ学ぶことは多いです。自分を相対化して見るきっかけになる。それよりも何よりも、人としておもしろい人がいっぱいいる。

だってこれから10億人と繋がれる可能性あるんですよ?相性悪いやつもいれば、とんでもなく面白い人と出会えるかも知れないわけです。

先入観なく多様な人々と繋がろうとするか。先入観を元に、閉じたコミュニティに留まろうとするか。

別にどうしても合わない人とは付き合う必要はありません。しかし異なる文化で育った人でも自分に合う人はきっといます。一番もったいないのは、メディアによって作られたイメージを元に、勝手に壁を作ってしまうこと。

だから先入観を外し、いろんな国の人と交流する「癖」みたいなのを身につけるといいのでは?と思います。

変化を、可能性と見るかどうかは、個人に委ねられています。

私たちは、今までよりも遥かに多様でたくさんの人の中から繋がりを持てる時代に生きているわけで、その現実を冷静に見据え、前向きにとらえて生きていきたいですね。

まとめると、

– 最近激しさを増してきた隣国同士の対立はグローバル化による結果でもある。長期的に不可避なトレンドである以上、どう対応していくか、国としてだけでなく個人としてもしっかり考えたほうが良いかも。

– 正負ある中で、個人としてそれは大きな可能性でもある。負の側面をしっかり見据えつつ、正の側面を活用していきたいもの。

– マスメディアによるフィルタを廃し、まずは最も身近な外国である人達と交流するのが、多くの人にとってその第一歩となるのでは。

最後に。

もともとは本エントリーを書こうと思ったのは、対立を避けるために、個人として何ができるのか、を考えはじめたのがきっかけです。一時期の緊張に比べ、少し落ち着いたとはいえ、まだまだ予断を許さない状況です。

人と人が繋がれば、紛争が避けられる。残念ながら、世の中そんな単純ではありません。逆に直接知り合うことで、嫌な思いをする機会も出てくるでしょう。

だけど、より多くの人達が繋がり、対話が生まれるチャンネルが増えることは、ほんの少しかも知れないけれど、今よりも良い世界になっているのだと思います。

未来は誰かが勝手に決めていくものではなく、今この瞬間の私たち一人一人の意思と行動によって創りだされていくもの。そう信じています。

長文なのにここまで読んで頂いて、本当に感謝です。ありがとうございました。




ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)