高校3年間は理数コースだったので、彼とはずっと同じクラスだった。
色白で、線が細くて、理屈っぽいところがお互い似ていて、変なところで話のウマがあった。
常に一緒にいるような仲ではなかったけれど、何かに対して強烈なコンプレックスを持っていて、理想主義で、現実となかなか折り合いがつけられない。高校生の頃ってみんなそんな感じと言われればそれまでだけど、でも彼とぼくはとりわけその程度が似通っていた。
高2のとき、進路相談の三者面談で、東京の大学に行きたいと言ったら、
「梶原くんなら、二浪して関西のxx大学に行けるかどうかですよ。」
と担任の先生はニヤニヤしながら、母親に向かって助言していた。
ど田舎の公立高校で、当時東京に行こうと本気で考えているやつなんてほとんどいなかったけど、少なくとも彼とぼくは違っていた。
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同じ大学を受験して、受験の時は同じホテルの隣の部屋に泊まって。
受験の前日、熱を出してしまった彼に薬を買ってきたり、ぼくが別の大学の二次試験の日程を一日間違えていたときに、彼のホテルの部屋に急遽転がり込んだり。
結局互いに別々の大学に進学したけど、地元の高校から東京の大学に進学する人は数えるほどしかおらず、当時は沼袋という西武新宿線の沿線に住んでいたから、高田馬場のアパートまでは電車があれば一本で行けたし、終電終わったあとに連絡が来たら、原付で早稲田通りを飛ばしていって、彼のアパートにちょくちょく遊びに行った。
彼の6畳ぐらいでウナギの寝床のような典型的な学生の一人部屋に、大きなコンポと、大量の本とCDに囲まれて、「B’zのこの曲は、エアロスミスのこの曲のパクリやねん、ほら、ここのコード進行そっくりでしょ、ちょっと聴いてみて」という、でも比較のためにB’zのCDはなぜか買ってある、褒めたいのかディスりたいのかよく分からない彼の持論を毎回聴かされながら、東京での学生生活や、考えていることや、お互いの悩みをよく話し合った。
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「かじくん、昔からいっつも、もがいてるよな。すごいと思う。」
ある晩、細い目をさらに細めてニコニコ笑いながら、彼が言った。
当時、ある理想を追いかけていて、自分の行動には妥協はなかったけど、周りと軋轢を起こして全然うまくいかなかったとき。悩んで動いてうまくいかなくて、悩んで動いてうまくいかなくて、それをエンドレスで繰り返す。そんなときだったけど。
「見かけも悪くないし、背伸びせずに、もっと無難なところで失敗とか見せずにカッコつけてたら、女の子にモテるのになぁ」
と笑いながら、
「でも、カッコつけずにひたすらもがき続けてる。それは本当にすごいことやで。かじくんらしいわ。」
ニコニコ笑いながら、そう言ってた。
きっと彼は、ぼくに自分自身の姿を投影していたのだと思う。
彼も、ずっともがいていた。
ぼくなんかより、遥かに大変な悩みを抱えて。
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もっと要領よく生きられる人もいるし、もっとカッコよく生きられる人もいるし、もっと計画的に生きられる人もいる。
でもたぶん彼もぼくも、もがくことしか出来ない不器用な人間だったと思う。
大学を卒業して、アップルの日本法人に入りたいと言った時、両親から大反対された。
当時はiMacが発表される前。復帰したばかりのスティーブ・ジョブズについての著作はどれもペテン師と表現していて。マスメディアで会社の名前を見ることなんて全くなかったけど、数少ないMac専門誌には、常に倒産か買収のうわさ話が出ていて。
iPodやiPhoneからアップル製品を使い始めた人には理解できないかも知れないけれど、当時アップルに新卒で入社するなんて、(一部の熱狂的なファンを除けば)本当に狂気の沙汰だったと思う。
でも、ジョブズが復帰してつくったThink different. のCMがたまたま自分の部屋のテレビから流れてきたとき、ぼくは泣いてしまった。
後にも先にもTVのCMであんなに感動したことはない。
魂が込もったあのCMを見て、やっぱりこの会社の一員になってみたいと思った。
日本の大企業にも内定が決まっていたから、意思を伝えたとき実家の母親は電話口で泣き、周囲の人もほとんどは賛成しなかった。
絶対大変な道なんやけど、でも行こうかなぁと思う、と彼に言うと、
「ええやん。かじくんらしいわ。」
そう言って、ニコニコ笑っていた。
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確かにすさまじく大変だった。
でも素晴らしい上司や先輩、同僚、部下に恵まれ、信じられないような12年間を経験させてもらった。
正直、高校の頃の自分に、今の姿は全く想像できなかったと思う。
自分ではちゃんと分かっている。何か能力があったわけではない。ただ運が良かっただけ。謙遜ではなくほんとにそう。
でもはっきりと言えるのは、もがいてきたからこそ、今の自分がいる。
人は簡単に、夢を持てとか、直感に従えとか、現状に満足するな、と言うけれど。そのプロセスのほとんどは、ひたすらもがいてるだけ。
周りからは笑われて、バカにされて、そしてひどいときは無視される。たまに報われることがあるけれど、それも一瞬だしほとんどが運だし。
しんどいし、辛いし、こんなかっこ悪い生き方は、できれば早めに卒業したい。ぶっちゃけた話、ここ数年はそう思っていた。
・・・
でもあのとき、ぼくは彼の言葉に心から救われた。それが、かじくんやで、と。
彼があの言葉をぼくに伝えてくれてから、15年以上経って。
今のぼくを見て彼はなんて言うだろう。
答えは一生分からない。
でも。
「かじくん、なにカッコつけとんねん。らしくないやん。もがいてないんちゃう?」
きっと彼ならそう言う気がする。
細い目をさらに細めて、ニコニコ笑いながら。
P.S.
彼について。 | カジケンブログ
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