September 13, 2013 at 09:58PM / Arya Ziai
たまたま見かけた記事なのですが、はてなの匿名ダイアリーで面白い文章がありました。
皆さんに本当に必要なのはライフハックではなく筋肉
”みなさん、疑っても結構ですから、
まず今すぐ椅子から立って、
ハーフスクワットで大腿筋を追い込んでください。
ほとんどの内面的な問題、一部の社会制度上の障害すら、
筋肉が解決してくれます。”

ああ、駅ならこの道をマッスル行ったとこです : 「ボケて」の画像寄せ集め【吹いたら負け】 – NAVER まとめ
あ、いやすいません。ほんとに頭に浮かんじゃったもので、つい・・・
気が済んだので、真面目に書きますね。
元記事の文章が素晴らしく簡にして要を得たもので、全文引用しそうになるのですが、
”ゆっくりとしたハーフスクワットで大腿筋を追い込んでみてください。
辛くなってから更に3回、限界だと思ってからあと5回。”
〜中略〜
”この2分ほどの時間は、どんなライフハックよりも自己啓発よりも
高レベルの内省と精神統一をあなたにもたらしてくれます。”
〜中略〜
”ウエイトトレーニングは短い時間に集中して力を出し切ります。
1回1回が己との対話であり克己心の連続であり、発見の繰り返しなんです。”
この「もう限界だ、と思ったところから、さらに自分を追い込む」という体験がめちゃ大事なんですよね。
勘違いして欲しくないのは、ブラック企業に勤めていてもう辛くて辞めたいと思っているのに「無理やり我慢する」みたいな話ではなく、自分にとってこれは「意義がある」と信じているものに真正面から取り組み、その過程でもう無理!限界!と感じた地点を日々超えていく経験が大事、ということ。
ライフハックでも自己啓発でも筋トレでも、別に呼び方や方法論は正直何でもいいのですが、結局本質的には、自分を変えたいから何らかのアクションを取るわけです。今のままで良いならわざわざ新しい行動をする必要はないので。
そして変えたい対象が自分の場合、最も基本的かつ重要な行動規範は、「日々の習慣」です。
もちろん、習慣が大事、とはよく言われることですし、私も心底その通りだと思っていますが、本当はこの
「自分を限界(だと思っている地点)以上まで追い込む」
ことこそが、習慣を実践する上で、実は一番大事なことではないかと思います。
ライフハックや自己啓発的なものが時に人からバカにされるのは、この自分を追い込むことから目を逸らし、「楽に」「苦労せず」「抜け道」のような小手先のテクニックに走る人がいるからではないでしょうか。(もちろんみんながみんなそうだということではなく、参考になるものや立派な人のほうが大半ですが。)
本質的には、楽して金儲けよう/痩せよう、みたいな話と極めて似ているんですよね。
いやーでも筋トレはちょっと・・・
という人もたくさんいると思います。筋トレに例えるから眉間にしわを寄せた、めちゃ苦しそうなイメージになりますが、自分にとって意味があるものであれば何であっても良いでしょう。
そして、
「あー、疲れたし気が乗らないなぁ。今日はやめたいなぁ。」
とか
「あっちのほうが楽しそうだから、今日ぐらいはやらなくていいよね!?」
みたいな、自分の心に湧く誘惑を乗り越えていくことも、同じように大事なのだと思います。
以前書きましたが、ハードロックのスーパーギタリストのインタビューで、凄まじいテクニックを誇る人が、どうやったらそんなに上手になれるんですか?という質問に対して、
「例外なく毎日練習すること」
そして
「必ず来るスランプの時に練習をしっかりすること」
この2つを挙げていました。
やる気がない時も自分を刺激する仕組みを作る。 | カジケンブログ
自分を変化させていく、というのは結局そういうことなのだ、と思います。
要は今までの自分を超えていく経験を、
年に一度する人と、
月に一度する人と、
毎日する人では、
変化のスピードが違うのは当たり前。
だから思いついた時や調子が良いときにだけ頑張ってもだめ。
一方で、自分を追い込むことから目を逸らし、毎日楽にできるゆる〜いことをやってたって、たいしたことは起きないんです。
その当たり前のことに気づいて真摯に向きあえば、きっとそれに見合う対価が得られる。
そう思っています。
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