Googleのサーフ曰く、「プライバシーは異例かもしれない」。歴史的に見て彼は正しい | TechCrunch Japan
この記事、非常に面白かったです。「プライバシーは、産業革命がもたらした都市化ブームから生まれたもの」であって、実は歴史的にはプライバシーがないほうが当たり前だったこと。そして、ネットの発達によってプライバシーという概念は変質していくだろうことが示唆されています。
都会で生まれ育った方にはピンと来ないかも知れませんが、私の実家は田舎の農家(兼業ですが)だったので、このプライバシーがほとんどない感覚は非常によく分かります。
近所に住んでいる人は小さい頃どんなだったか、今何にハマっていて、悩んでいるのか、そんな情報どこから仕入れてくるんだというぐらい両親や祖父母が知っていたことを覚えています。特に母親が小学校の先生だったからか、物心ついたときから(初めて会ったはずの)近所のお店のおばちゃんが、なぜか私のことをよく知ってるみたいなことは、しょっちゅうありました。
気持ち悪い?(笑)
物事には全てトレードオフがあります。「プライバシー」が生まれたことで「孤独」も必然的に生まれました。
自分が共有することを意図しない相手に対してすら、自分のことを知られているというのは確かに気持ち悪くもありますが、一方でそのコミュニティの一員であるという心地よさがあったことも事実です。
日本において都市化が進んだのは戦後のわずか50年あまりの話であり、それまで日本に暮らすほぼ全ての人は何らか生まれた土地に縛られていました。故に「距離」が人間関係を規定していたわけです。
産業化と共に都市化が進んだことで、多くの人は職住近接でなくなり、その結果(職場で)一緒に過ごす「時間」が人間関係を規定するようになりました。ほんの10年ぐらい前までは職場での付き合いが人間関係の大半という人が多数派だったはずです。
一方で、ネットというのは「距離」も「時間」も超越します。
人間が物理的な存在に縛られていたときには超えられなかった壁を、ネットを使うことで自分という存在が拡張され距離も時間も軽々と超えていけるようになる。
例えばこのブログを今まで読んでくださった方はこの1年で90カ国にのぼります(国内で言えば47全都道府県)。
その中からTwitter、Facebook、メールでやり取りをしたり、実際にお会いしたかたもいます。私はただ自分が好きなときに自分の思うところをブログに書いてネット上にアップしていただけ。それがきっかけとなり距離にも時間にも縛られず、新しい縁が結ばれていく。
ネットの時代らしさを体感するとき。 | カジケンブログ
別にわざわざブログなんて面倒くさいことをしなくても(笑)、今ではソーシャルメディアとモバイルを使って、誰もが気が合う友人・知人と、距離や(対面で会う)時間にとらわれずにコミュニケーションすることがごく当たり前のことになりました。
堺屋太一さんは、それを「地縁」「職縁」「好縁」という表現で本質を切り取っています。
「地縁」= 土地による繋がり
「職縁」= 会社による繋がり
「好縁」= 自分が好きなモノやコトによる繋がり
高度成長期に伴う都市化によって「地縁」から「職縁」と変化してきたこれまでの社会は、今後、自分が関心を持っている分野が共通の人たちと付き合う形、すなわち「好縁」に変化していくと喝破されています。(この著書は19年前ですから、その未来を見通す眼力の凄さには本当にシビレます。)
職縁から好縁への流れについて、とても分かりやすい例えを佐々木俊尚さんがメールマガジンでされていたので、一部ご紹介します。
佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.269
特集2
自分の社会とのつながりを「ポートフォリオ」で組み立てよう
〜〜これからの社会の本当のセーフティネットを考える(5)
以下、抜粋。
”また今までの会社生活では、嫌な上司や同僚とどう折り合っていくのかというのがたいへん大きな重いテーマでした。会社の中で暮らしていくしかない、生きていくしかないとあらかじめ決められてたから、嫌なヤツや合わないヤツとも我慢しなければならなかったわけです。もちろん相手だって本当は悪い人間ではないのかも知れないけれど、たくさんの人間がこの世にいれば、ひとりひとりの人間にはいい面もあって悪い面もあり、どうしても相性の悪さが前面に出てしまうことがあります。
そういうつきあいをするためには、私たちは「折り合いを付けて我慢する」というマイナスの思考で耐えなければなりませんでした。いい人間関係を作るっていうよりも、あらかじめ人間関係が決められているから、合わない人とも付き合わなければいけない。あらかじめ決められている中で、いかに嫌な思いをしないで、なんとかやり過ごすかっていう方向に、すごく神経を集中させているのです。我慢とスルーこそが大切ということなのです。
しかし今の時代は会社の外に目を向ければ、いろんな人間関係をたくさん作ることができるようになっています。ポートフォリオの中では、嫌な人間関係を我慢して諦めるよりも、いい人間関係をたくさん作るという風にポジティブに転換することが可能になってきていると思います。もちろん、それは必ずしも「好きな人とだけ付き合う」というようなぬるい人間関係を作るということではありません。「一緒にいる時が楽だから」というようなことではなく、この人と一緒にいたら自分が高められる、仕事のことを学べる、人生がもっと豊かになりそう、と思えるような人たち。ネットで他人との接続のハードルが下がって、そういう人たちとも関係をポジティブに作ることが可能になってきているのです。”
ウェアラブルの素地は整ったが、まだ普及への必要条件は揃っていない 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.269 – 佐々木俊尚の未来地図レポート – BLOGOS(ブロゴス)メルマガ
まさに「職縁」から「好縁」への流れ。私個人でいっても、10年前の人間関係と比べれば、遥かに多様なバックグラウンドをもった人たちや、様々なコミュニティの人たちとコミュニケーションを取るようになりました。それはソーシャルメディアやまさにこのブログ(!)により、時間と距離に縛られず他者と関係を結びやすくなったからに他なりません。
それは、ソーシャルメディアやブログを通して、様々な情報をネット上に公開し蓄積していっているからです。
私の興味関心がどこにあるのか、何が好きで何が嫌いなのか、普段どんなことを考えているのか、全てを公開しているわけではないとはいえ、私の思考、嗜好、志向を知っている人の数と情報の範囲でいえば、10年前よりも飛躍的に人数、範囲ともに増えているでしょう。そういう意味では、プライバシーは一部融解してきているのかも知れません。
結果として、自分が知らない人にすら、自分のことが知られている場合も出てきます。近所のお店のおばちゃんが私のことを知っていたように。
それってフレーズとしてまとめれば、「田舎化」が進んでいると言っても良いんじゃないかと思います。
PhoTones Works #2660 / PhoTones_TAKUMA
しかし昔と大きく違うことは、人間関係が選択できるということ。
どんな人と濃く繋がって、どんな人とは繋がらないようにするのか。
それをかなり意識的に選択できるようになってきたのではないでしょうか。
土地や職場に縛られ、付き合いたくない人とも濃密に付き合わないといけない環境で、さらにプライバシーがないというのは人によっては非常に辛い状況でしょう。
しかし、佐々木さんが上記メルマガで書かれているとおり、現代においてはそういった人間関係はあくまで自分が繋がれる関係性の中の一部に過ぎません。そのことをきちんと自覚している人にとっては、これからの時代はプライバシーの負の側面(孤独)を回避しつつ、自分が心地よい、刺激を受けるコミュニティに属しながら生きていける時代になるのではないかと思います。
とはいえ、もちろん単純にバラ色の未来がやって来る!なんて牧歌的なことを言うつもりはありません。
自動車の普及で個人のモビリティに革命が起きた一方で、交通事故や排気ガスなどの問題が起きているように、大きな変化には功罪どちらもあることがほとんど。大企業や政府に個人情報を知らない間に取得されるという側面や、ストーカーの問題などこれから大きくなってくるだろう社会問題をどう解決し得るのか、抜本的な解決策が提示されるのはずいぶん先のことになるでしょう。
しかし、過度にネガティブな側面に目を向け変化を拒絶するのではなく、必然的な流れとして自分はこの波をどのように活用していくのか?
そういった主体的な観点で考え、行動していくことが求められるのだと思います。
面白い時代ですな。
P.S.
佐々木俊尚さんの新書「レイヤー化する世界」ではこの多様な人間関係を結ぶ時代の、新しい個人観が分かりやすく書かれています。オススメ。
【書評】プリズムを持っているか? – 「レイヤー化する世界」 | カジケンブログ
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