ピラティスとブログの共通点。

先日の記事を佐々木俊尚さんに取り上げて頂きました。



しかも同じ日にSpotifyについてのツイートもリツイートいただきました。

 

ちなみに2年ほど前ですが、わたくしこんな記事も書いております(笑)

1,500万曲が聞き放題!音楽配信サービスSpotifyをあらためて使ってみた【梶原 健司】 | TechWave

どちらも取り上げて頂いたおかげで、iPhoneへのTwitterからのRTやFavの告知が鳴り止まない日でした。 佐々木さん、改めましてありがとうございました!




さて今日は取り上げて頂いたブログの記事について、少しだけ補足を。

実はちょっとしたきっかけで、先日ピラティスのレッスンを受ける機会がありました。

Pilates
Pilates / redcreadeporte


(ちなみにこの風景はダミーです・笑)

先生・生徒のどちらも幅広い年代の女性で溢れるスタジオに、30代のおっさんが一人。しかも私だけ未経験者。そりゃもうめちゃくちゃ浮きまくっておりましたがね・・・えぇえぇ。

日本でも指折りの指導者の方によるグループレッスンを1時間体験してきましたが、印象深かったのが、その先生がレッスン中ずっと

「背骨の一つ一つの位置や動きを常に意識してくださーい。私の動きをただ真似だけしててもだめですよー。」

と何度も繰り返し言っていたこと。

意識をし続けることが、めちゃくちゃ重要。

最初はほとんど感じられなくてもいい。というか、私は無理でした(笑)でもとにかく1時間ずっと意識を向け続ける。それを継続していけば、だんだんと一つ一つの骨の動きが感じられるようになる、と。(もちろん色んな流派?があると思いますし、初学者としてあくまで私が理解した内容です。)

いままでも、筋トレとかストレッチなどで、筋肉を意識しようってよく聞きました。

でも骨ですよ、骨。

ちなみに背骨は33個の骨で形成されているのですが、その一つ一つがきちんと判別できて動かせるようになるそうです。すごー!

人間ってそこまで出来るようになるものなんですね。

そのために、もちろん物理的に正しい動きを「型」としてマスターすることも重要なのですが、

大事なことは、「(身体感覚に)意識を常に向けること」。

内面を観察する感覚を養うことが重要なのだそうです。

これ、自分にとってのブログも実はそう。

冒頭で佐々木さんに取り上げて頂いた記事をご紹介しましたが、この中で「ブログを書くことは自分の心を観察する鏡のようなもの」と、書きました。

そうしたら記事へ頂いたコメントの一つに、「言っていることは分かるけど、果たしてそんな日記(のようなもの)を外部に公開することに意味はあるのか?」というものがありましたが、もちろん意味はあります。

それは何かというと

(半ば)強制的に自分の内面に意識を向けざるを得なくなる

からです。

当然、個人差はあるとは思います。

ただ私の場合、根が非常に(x 100)怠惰な人間なので、日記だと適当に流してしまいます。 たぶんダラダラと毎日書くことは継続できるかも知れませんが、かなり気が抜けた状態になるでしょう。

要はピラティスで言えば、体は動かしている(書くことは書く)けれど、背骨(心)に意識が向いていない状態と言えます。

でも実名で記事を公開し、Facebook、Twitterを通して、リアルでもよく知る友人や知人に対して記事の更新を告知するとなると?

そりゃもう、こう見えて毎回めちゃくちゃ真剣に書いています(笑)

そうやってきちんと書こうと思ったら、ほんとに真剣に自分の内面に意識を向けざるを得ない。(別にしかめっ面で苦しそうな感じではなく、すごく集中している感じですが)

要は、衆人環視の状況において真剣にアウトプットをする環境をつくり、それによって半ば強制的に内省をするようにしているわけです。

なぜそこまでするのか?には色々理由はありますが、そうまでして初めて見えてくる自分の内面って意外なほど、たくさんあるんですよね。ブログを再開して1年近くになりますが、日々それを感じています。

逆の言い方をすれば、背骨を意識して動かそうと思わない人には、背骨の一つ一つの感覚は把握できない。それと似ていると思います。

常に意識をすることで、普段の生活ではなかなか窺い知れない本当にコアな部分を非常に微細に捉えることができるようになる。それは体と心の違いはありながらも、ピラティスもブログも同じこと。

ブログ以外にも色んなやり方があるでしょうが、自分なりの「強制的に内省する仕組み」は持っておく。それは長期的にみて、とても大きな財産になるのではないかと思います。





 

ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)