隣の芝が青く見えたとしても。

Grass
今日はちと雑感を。

今はだいぶマシになったと思いますが、私は若い頃、周りを羨ましく思う気持ちに苦しめられることがとても多かったです。嫉妬という単語がタイトルにつく記事を二つも書いているぐらい、その苦闘の後が垣間見えますな(笑)

嫉妬を感じたら、しめた!と思おう。 | カジケンブログ

あの羨望と嫉妬と尊敬と悔しさが入り混じった感情に名前をつけたい。 | カジケンブログ

ある日、ふとなんで隣の芝は青く見えるんだろう?と考えたことがあります。要はなんで羨ましくなっちゃうんだろう?と。

まー当たり前のことなのですが、



今自分が持っていないものは価値が高く見えやすいから

ですよね。

喉がからからに乾いてる人にとっては水が超貴重だけれど、一旦飲んでしまったら価値を弱く感じる、みたいなこと。

だからこそ、持っていないものに目を向けるのではなく、自分が今持っているものに目を向けるべし。

とはいえこんなこと「幸せの青い鳥」の寓話から、仏教が語る「足るを知る」まで、古今東西、昔から言われていることです。

それでも、なかなか脱却できない。

というか、最近ますます難しい時代になってきたような気がします。

世界を、自分自身と自分以外の他者に分けてみたらよく分かる。

人間の自分自身に対する理解度がここ数十年で増えたようには思いませんが、主にFacebookやTwitterなどのソーシャルメディアを通して、他者の情報については、毎日のように大量に目にするようになりました。

アウトプットをばりばりしている人を除けば、自分が日常的に触れる情報の中で、他者に関する情報の比率が確実に増えていますよね。

よっぽど抜きん出た能力、財力、行動力に恵まれた人でない限り、自分が持たざるものについて、否応なく意識させられるというものです。

などと考えていたら、最近Twitterで見かけた内容が刺さりました。


これ、ほんとにその通りだと思います。

例えば、他者に比べて何かを持っていないとして、そのことに気づいたからと言って本当はそれ自体で何も失っていないんです。だけど、なんで俺は持っていないんだ!?俺はなんてダメなんだ!と考えてしまうと、途端に辛くなる。

だからやはり大事なことは、今の自分にないものではなく、今自分が持っているものをきちんと見つめること。その日々の姿勢なのだと思います。

過度に周囲を意識せず、比べず、どこまで淡々と自分が持っているものに感謝し、そして自分の能力でコントロールできることに集中するか、それを意識的に行うことが、とても大事な時代になってきていると思います。

あとは、他者との比較や他者からの賞賛ではなく、自分の中に喜びや幸せの基準を持つようにすること。

例えば、自分で決めたルールを守ること、はわかる人にはわかると思いますが、とても気持ちがよく誇らしいものです。

あとはスポーツや楽器が上達したり、何かを習熟していくという、成長の喜びもそうでしょう。

要は、対他者ではなく、そういった対自分自身の事柄を日々どれだけ増やせるのか。

それでも気になっちゃう!という人は、どうすれば良いかは人それぞれですが、冒頭で紹介したこんな考え方を心がけるのもオススメです(笑)

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ということで日々つれづれなるままに。




ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)