ふと戸棚を眺めたら、2009年からつけはじめた日記(というか日々の思考と感情を記録したもの。やっぱり日記か。)が、結構な冊数になっていました。
これで3年4ヶ月分。
(途中からスマートノートに移行しています。参照:凡人が考え続けるためのツール:スマートノート | カジケンブログ)
改めて思いましたが、
こうやって自分が積み重ねてきたものを可視化するのは、何かを継続していくときに地味に効果的ですね。
だって、これだけ溜まったもの(いやまー、たかが日記なんですが・・・)を途切れさせるのもったいない!って素直に思いますもん。
アウトプットの習慣の一つとして、「書くことが大事」というのは尊敬する方から社会人なりたてのころに口を酸っぱく言われていたのですが、これがなかなか身につかず。
私は別に昔から何かを継続するのが好きとか得意とかいうわけでもなく、またこうやってノートに何かを記録していくという習慣自体も、それまでは全くありませんでした。
ただ当時、非常に混乱した状況に置かれていて、頭の中があまりにぐちゃぐちゃだったので、とにかくこれは日々の状況を整理しなければ!というのでノートをつけ始めただけ。
その時考えたのは、とにかくページ数が少なくて、かつページ・サイズが小さいノートにしようと思いました。なので、最初はこんな縦長のノートでした(途中から普通のB5サイズに変わりましたが)。
なぜそんなことを考えたかというと、あっという間にページが埋まって、ノート一冊書ききってしまうので、すぐにノートの束が出来てきて達成感があるから(笑)
で、実際に効果はありました。
ただどちらかというと、途中からは達成感というよりは「ここまで(文字通り)積み重なって来てるなら、続けないともったいない。」という感覚になってましたが(苦笑)
ビジネスであれば、サンクコストは無視が基本ですが、今回の場合は自分が身につけたい習慣なので、逆にサンクコストを可視化させてしまったほうが未練というか愛着がわいて続きますね。
以下、余談ですが。
最近のトレンドは、断捨離だったりデジタル化だったりして、とにかく物理的なものを減らそうとするのが世の中の流れです。
私自身、書籍は所有していたものほぼ全て(1,000冊以上)PDF化していますし、Evernoteに書類から何からがんがん情報放り込んでますし、元々物欲が薄いこともあり、モノ自体もほとんど持っていません。
しかし一方で、これは!というものはきちんとモノとして持っておきたいとも思います。
さきほどのノートにしても、Evernoteにデジタルデータとして保存しておけばええやんって話になりがちなのですが、この積み重ねてきたものの(文字通り)重みとか存在感って、やっぱりデジタルだと感じづらいんですよね。
それはデジタル化することで、モノが持っている質量や、ノートに残っている自分の痕跡がなくなってしまうから。
「愛着がわく」
というのは、物理的なモノの最大の利点の一つでもあると思いますし、それをうまく利用することって色々できるよなと、今回思いました。
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