気を抜いたらやられる。

実家に帰ってきています。

自宅ではテレビを見なくなってはや10年という感じなのですが、実家の食卓には大きなテレビがどーんと置いてあるので、両親と食事をしながら、久しぶりにほげーっと観ておりました。

気づいたら1時間とか、いやもうあっという間に過ぎますね。改めて思いましたが、テレビすごい。

テレビ番組は、広告主にとっても、社内的にも、視聴率で評価されているわけですから、究極の理想形は視聴率100%。ってことは、当然一旦観始めたら、どれだけその番組を最後まで見続けさせられるか、そのことに制作者は心血を注いできて、そのためのノウハウの蓄積も凄まじいでしょうから、そら気を抜いたら(?)一気に時間が経ってしまうわけですな。

ソーシャルメディアも全く同じで、当然どれだけ長い間そのメディアに滞在してもらえるか、時間を使ってもらえるかをひたすら工夫しています。例えばわたしはFacebookのグループ機能を使って、関係者と仕事をしていたりします。最近困っているのが、その仕事用グループの更新内容を見にいくだけのつもりが、ふと気づけばニュースフィードの友達の更新に対して、いいね!やコメントしていたり、紹介されている記事を読みに行ったりして、「あれ?オレ、そもそも何しようとしてたんだっけ??」としょっちゅうなるんですよね・・・




南の島の部族に靴を売る、という逸話がよく言われますが、そもそも本人が気づいていなかったニーズを顕在化させ、欲望を喚起して「欲しい!」と思わせてお金を使わせる手法をマーケティングだとして、

マーケティングの世界でよく知られた「靴」に関するお話: Leaf Wrapping~山本志のぶ「木の葉」ブログ~

ある意味テレビやソーシャルメディアも同様で、もともと自分が意図していなかったとしても、興味を惹かせてその場に釘付けにされることって、気づけば結構あります。

お金をどう使うかは、本人の資産やキャッシュフローの大きさによって、同じ人間でもかなりばらつきは出るはず。

しかし、時間は誰にでも平等に一日24時間。だからこそ、それをどう使うかにその人自身がまさにあらわれる、と思っています。

いずれにしても、結局自分の意思というよりは、他者からの影響によってお金や時間の使い方を決めてしまっていることに自覚的でありたいですし、できることなら自分の意思の比率を増やしたいものです。




ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)