大人になっても短パンで外を走り回る人。

自戒を込めて書きます。

たぶんほとんどの人にとっては、そんなの当たり前やん!という感じかも。

新しい体験が足りないと、ここ数年感じています。

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人間は体験したものの組み合わせでしか、世界を認識できません。

想像力は無限大と言うのは簡単ですが、雪も海も見たことがない子どもに、どんなに言葉を尽くしても説明し切れないように、実際にそれを自分の身で経験して初めて理解できるものは世の中にたくさんあります。

(芸術家など特殊な人を除いて)自分が体験したものの極点を繋いだものを外周として、想像力とはその内側で働くものではないかと思います。

そして生まれてから大人になるまでは、その外周はどんどん広がっていく。驚いたり、感動したり、傷ついたり、落ち込んだりしながら。

誰もが通る、(自分という存在も含めた)世界を知るプロセスですよね。

でも大人になるとどこかの段階で、広がるスピードが一気に落ちる。

あーこれは知っている。
これは(自分が経験したxxから類推して)こういうことだろう。
それはxxという本に書いてあった。
・・・

 

子供が良くて大人が悪いというわけではありません。

文字通り何も知らない子供が日々学習し、体験の外周が広がっていくのは、ある意味「本人の意志とは関係なく」勝手に進むものだから。(生まれた時から、前世の記憶がある!みたいな人がいたら別ですが・・・)

しかし、ある一定以上の大きさに広がってしまった大人にとって、ここから先は「自分の意志」で広げていく必要があります。

内側の世界にいるのって、心地いいんですよね。広げれば広げるほどその中に留まりたくなる。

特にインターネットとソーシャルメディアの登場で、色んな人が自分の知ってる世界の外の情報を持ってきてくれる。

観た気になる、聴いた気になる。

でもそれってやっぱり、冬の寒い日にコタツに入ってテレビ見てる、みたいなものです。

 

幸か不幸か、自分の周りには「うわ!?あんなに外寒そうなのに、タンクトップと短パンで笑いながら走り回っとるで!」みたいな人がたくさんいます。

きっとたくさん傷ついたりもしているけど、子供のように新しい体験に飛び込んでいって、楽しそうに外周を広げていってる。

やっぱりそういう人を自分は尊敬します。

このブログを始めたのは、その外周を広げる一環でもあるけれど、もちろんまだまだ全然足りません。

中二病と言われるかも知れないけど「うわー!世界って面白いわ!!!」と声が思わず出てしまうような、そんな生き方を目指したい。そう思っています。

P.S.
優れた芸術作品に触れることは、文字通り体験としか言いようがないものだったりします。そういったものも体験として含んでいると解釈いただければ。




ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)