たまに、自分の生きる意味とは何か、みたいな話しを読んだり耳にしたりします。今日はそのことについて自分なりの意見を少し書きます。
たとえば使命の存在については、私には正直よく分かりません。
少なくとも自分の人生において自分が生まれてきた使命なんてものを感じたことはありません。そういうものがあればいいな、と思いこそすれ、自分が感じていないものを「きっとあるはず!」と信じるほどナイーブではありません。
もちろん自分の使命をはっきり認識している人もいるでしょうから、そういった存在を否定するものではなく、少なくとも私が生きてきた人生においてはよく分からない。それは正直に告白しておきます。
そう断った上で、私が考えているのは、
生きる意味とは自分の意志で見出すもの
です。
(意味、というもの自体が、個人が主観的に決めるものなので当たり前と言えば当たり前なのですが。)
なぜこう思うかというと、
借りは出来る限り、返すべきだと思っているから。
わけが分からない?(苦笑)
たとえば、自分の人生において貸し借りがプラスだ、という人は傲慢だと思います。
スティーブ・ジョブズでさえ、こう言っています。
“You know, we don’t grow most of the food we eat. We wear clothes other people make. We speak a language that other people developed. We use a mathematics that other people evolved… I mean, we’re constantly taking things. It’s a wonderful, ecstatic feeling to create something that puts it back in the pool of human experience and knowledge.”
Steve Jobs
”私たちが食べているものはほとんどが自分で育てたものではない。私たちは誰かが作ってくれた服を来て、先人たちが築き上げてきた言語や数学を使っている。つまり、私たちは常に受け取っているのだ。その人類の経験と知識の海に(今まで受け取ったものを活かして)自分が創ったものを返していけるのは、とても素晴らしくうっとりするような感覚だよ。”スティーブ・ジョブズ
私たちは自分の力で生きてきたようで、生かされているのです。ジョブズは人類の歴史上の有名・無名の偉人たちを意識していて、そこまでのセルフイメージを持てる人は限られるでしょうが、どんな人だってその人なりに、今まで多くのものを受け取ってきているはず。
たとえば子供が生まれ育て始めたときに多くの人が感じることは、
いかに自分自身が親に愛されていたのか
どれだけのものを無償で受け取ってきたのか
だと思います。
自分が生まれて今まで生きてくるのに、自分の力だけで生きてきたなんて人は一人もいないはず。
親の無償の愛だけでなく、友人達からの助け、会社の先輩や上司から受けた恩義、見知らぬ人からのちょっとした親切・・・
受け取ったものは、受け取った人に返すか、次に繋いでいく。
子供がいる人は自分の子供に繋いでいくのもあるでしょうし、子供がいなくても友人、後輩などいくらでも繋いでいく先はあるでしょう。
自分が今までにどれだけのものを受け取ってきたのか。
そのことに気づけるかどうかなのだと思います。
気づき、
感謝し、
そして「何に」「どのように」返していくのか。
そこに人の生き様が如実に現れるでしょう。
ジョブズの言葉を考えれば、とてもとても返しきれないかも知れません。
だけどほんの少しでもいい。自分が受け取ったと気づいたものは、カッコつけずに自分の周囲に何かしら返していく。
そう真剣に考えるだけで、どんな人にだって自分の生きる意味は見出だせる。
私はそう信じています。
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