昨日の記事の補足です。
最近嬉しいのが、このブログを含めて、どんな状況であっても毎日の習慣を(まー、なんとかではありますが・・・)継続できていることです。海外にいようが、体調がどんなに酷かろうが、淡々と継続する。
調子がいい時や、状況が整っているときにだけ実行するものは習慣とは呼びません。
究極的には「どんなときであっても」毎日やるものであればあるほど、意味があるのではないかと思います。
例えば。
ご飯を毎日食べないと、基本的に健康ではいられません。そして日本で生活する人であれば、日常生活の中でご飯を食べない日はまずないと思います。
しかし、もし生存欲求が欠損していて、気が向いたときにしかご飯を食べない、となると人はいずれ健康を害するか、最悪死んでしまうでしょう。
自らの生命を持続させるために必要である、ご飯を食べるという行為自体を、人間は本能という欲求として埋め込まれています。だから海外にいようが体調が悪かろうが、人間はお腹がすきます。強制的に気が向く状態になるわけですよね。
(空腹の例えがすっきりしなければ、睡眠でも良いです)
だけど、昨日書いたような強制力を習慣づけるみたいなものは、そういった本能の領域ではありません。
だから意識的に自分をそう仕向けていかないと、ついついやる気がある時しか実行しない、というふうに、あっという間になってしまいます。
ご飯を毎日食べずに健康でいられないように、自分がこれは良かれ!と決めた習慣を毎日実行できなければ、自分自身がより満足いく方向に生活が変わっていくはずもありません。
そしてそれは、人間としての本能に頼るのではなく、自らの意思で自覚的に確立していくことでしか、身につかないではないかと思っています。
習慣は第二の天性といいますが、それよりも習慣は第二の本能、のほうが最近私にはしっくりきます。
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