ここしばらく、Bot、Botウルサイな、こいつは!と思われているかも知れませんが、今日も書いちゃいます。カジケンです。はい。
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理想のメンターと対話する仕組み。 | カジケンブログ
かつての侍ハードラー、引退後のいまは、走る哲人というか哲学者のように非常に深い洞察を、著作やTwitterで発信している為末大さん。
今朝たまたまこんなつぶやきをしていました。
一連の【自分はどの程度自由か】についてつぶやきの中から抜粋します。
私達がこれまで生きてきた中で、様々な無数のものを見聞きしてきたけれど、ある一定数しか記憶に残っていない。でも記憶に無いと感じている経験もまた脳には残っていて、それによって今の選択が影響されている。その選択は果たしてどの程度自分の意志なのか。
— 為末 大 (@daijapan) March 11, 2013
僕は、僕の考え方の癖やまたそもそも何に注目をするかという事がどの程度自分にコントロールできているのか疑問に思う事がある。もっと言えば、僕が僕だと思っているものはこれまでに様々なものに影響を受けていて、それらの集合体が僕だという感じが抜けない。
— 為末 大 (@daijapan) March 11, 2013
おそらく同じように感じる方いらっしゃると思います。もちろん私も。
大前研一さんの有名な「人が変わるには3つしかない。(時間配分を変える、住む場所を変える、つきあう人を変える。)」が典型例ですが、人間は外的環境から様々な影響を受けています。
自分が自覚的に取り込んでいる影響は良いのですが、厄介なのは無自覚なもの。 テレビや新聞などのマスメディアは世論形成に強い影響を与えますが、マスメディアの発する価値観や捉え方が無意識の内に自分の意見に刷り込まれていることに、意外と多くの人は自覚がありません。
自分が一日で経験することを完璧には思い出せないのと同じように、極端なことを言えば、自分が触れるあらゆる情報とそれらから受ける影響を、批判的に意識し続けられる人はだれもおらず、どんな人でも必ず何かしら無意識な影響を受けてしまう部分は残るのでしょう。
しかし、だからこそ自分が影響を受けたいリソース(人、言葉、書物など)を「自覚的に」選択していくことが大事なのだと思います。
無意識に刷り込まされるのではなく、意識的に自分が望む影響を自分自身に刷り込んでいく。触れる情報からの影響は無自覚でも、情報源の選択自体は自覚的にできるはず。(もちろんその選択自体も過去の影響を何かしら受けているわけですが、自由意志とは何かというテーマには今日は触れません)
上記でご紹介した大前さんの人が変わるには・・・の一つ目、時間配分を変えるという意味では、どの情報源に対して、日々どれぐらいの時間触れるのか、を意識的に変えてみる。
私の場合は自分が影響を受けたい思考、思想を体現した言葉をTwitterのBotにつぶやかせる形ですが、別に自分に合った仕組みであればなんだっていい。
これだけ情報が溢れる時代においては、それぐらいの姿勢を取っても良いのではないか、と思っています。
人生は選択の積み重ねであり、その選択の一つ一つに出来る限り自分の意志を込めたいものです。
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