限りがあるからこそ、価値を感じる。

先日会食した方の仰っていたことが、とても印象的だったので、おすそわけです。

 

その方は美味しいものが大好きで、この前も素晴らしい料理とお酒を出すお店を予約してくれ、そしてとても美味しそうにどれも食べておられました(笑)

 

別に高い店や料理が良いとかではなくて、安かろうが汚い店だろうがとにかく自分が美味しいと思うものを出来る限り食べられるように、お店もストックしておくと。

 

「だって一生のうち、ご飯食べられる回数決まってるでしょ。」

 

確かに。

一日の食事の回数を10倍にするとか出来ませんからね。

 

「だから、どの食事も出来る限り、味わって楽しんで食べてるんだ。」

 

そう言いながら、とても楽しそうにもりもり食べておられました。

なるほどなー。ご本人は至って健康な方なのですが、面白い発想だなと。

 

限りがあるから、そこに価値を感じる、わけですもんね。

 

実質的に無限だと思っているものに人は価値を感じません。

日本で水はどこでも飲めますが、砂漠で迷っている人にとって水筒にわずかに残っている水の価値はとてつもなく高いように。

 

おまえそんなこと言っても、あと何万回も食事の機会はあるわけで、そんな意識とかできないわー、という意見もごもっとも。

しかし、無限ではなく有限であり、しかも減る一方で増えることはない、ということをきちんと意識するだけでも、価値を感じることができるのではないでしょうか。

とはいっても、別に人生であと何回食べられるのかぁぁぁ!!?!みたいな悲壮感漂う話をしたいわけではありません(笑)

 

「いつか無くなるものを求めちゃいかんのだよ。

無くなるものは、求めるためではなく、

そいつで遊ぶために、この世にあるんだからな」

(『セフティ・マッチの金の言葉』より)

ほぼ日刊イトイ新聞

 

すごく好きな言葉です。

 

そろそろ、桜が咲き始めましたね。今年の桜も思いっきり楽しみたいですな。




ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)