幸運なことに、社会人になりたての頃から、組織のトップを間近で拝見する機会に恵まれてきました。
ビジネスでは、Low hanging fruit(簡単に成果がでるもの)はそんなに多くありません。特に組織の中でポジションが高い人ほど、担当する職務範囲は広がり、責任を持つ目標値は高くなり、そしてそれは当然自分のビジネス上のゴールに対する達成の難易度が高まることを意味します。
しかも外部環境の急激な変化や社内の人材流出など、想定外のことがどんどん出てくる。だから上にいけばいくほど、どれだけ困難を乗り越えられることが上手いかを競うゲームみたいになってきます。
そういった状況では、めちゃくちゃ頭が良いとか、コミュニケーション能力が高いとか、数字に強いとか、そんな能力も大事ですが、社長クラスになってくると、みんな共通しているのは、行動力が半端じゃない。
端から見てて、どんな厳しい状況でも、辛いことがあっても、追い込まれていても、絶対に止まらない。行動の量、質、スピードにムラがないんですよね。
決断することから絶対に逃げない、ということもありますが、それよりも全ての物事を自分の行動を止めないために都合よく解釈する、と言えばいいでしょうか(笑)
いやいやいや、それはどう考えてもめっちゃネガティブな出来事でしょ!ということでも、これは今の自分にとってどういう意味があるのか?この出来事から何を学び、あわよくば活用して、自分の目標に向けての助けとできるか?みたいなことを、常に意識している。
事実は誰にとっても変わりませんが、それをどう解釈するかはその人次第。
俗にいうポジティブシンキングというより、自分の進んでいるスピードを落とさないように、あらゆるものを常に燃料にしている感じ。ネガティブな感情を持つこともあるけれど、そのエネルギーすら動力にしてうまく利用しながら動き続ける。
例えば、誰かに悔しい想いをさせられたら、その人を恨んで足を引っ張る方にエネルギーを使うのではなく、自分の修行が足りないことに気付かさせてもらったと解釈し、さらにはその人を巻き込んで自分の目標達成に協力してもらう。そんな姿勢。
ああいうのを見ていると実感するのが、
意味とは見出すものなのだな、と。
「あれはやってみたけど、結局意味がなかったなー。」と、特にそれが辛い経験のときはよく人は考えますが、意味とは「ある・ない」ではなくて、「自分の意志で見つけ出すもの」です。
だからやろうと思ったら、どんなことにだって意味は見つけられる。ある意味、スキル的なものかも知れません。
多くの宗教は、起きる出来事に意味を見出そうとする仕組みを内包していて、よく出来ているシステムだと思います。
しばしば宗教は、何かが起きた「意味」を神の御業に置き換えますが、自分の意志で意味を見出す方法は、以前MIT 石井裕教授もつぶやいていました。
【概念空間跳躍】■ 観察可能なあらゆる現象に『何故?』をぶつける。偶然は一切存在しない、全ては必然。理由がある、意味がある、メッセージがある。それをディコードするために、僕らは『隠喩概念空間連続跳躍』を続ける。メタファーと独創視点がエンジン。世界現象は僕らの想像飛躍力に挑戦する。
— Hiroshi Ishii 石井裕 (@ishii_mit) November 22, 2011
自分が死んだとき何を残したいですか?:MIT 石井裕教授 「未来記憶」【梶原健司】 : TechWave
どんな辛いことがあっても、厳しい状況でも、追い込まれていても、これは「なぜ」今自分の身に起きているのか?自分にとってどういう意味があるのか?を常に問い、それを(いい意味で)自分に都合よく引き寄せられないか。
なかなか出来ない時もありますが、生きていると困難なことに出会うことは避けられないわけで、一つのスキルとして意識しておいてもよいかも知れません。
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