先日、フランス人と結婚した友人の子育てについて書いたら反響が大きくてびっくりするやらありがたいやら。
常識のこれから。|カジケンブログ
今日は、関連してちょっと別視点から。反省文であります。笑ってやってください。
最初彼女から子育ての常識が、日本と全然違うことを聞いた時に、正直言うと
(あー、世界の常識、日本の非常識ってやつなのかなぁ・・・)
と、最初思いました。
でも、フランス人、イギリス人、アメリカ人でも、子育ての仕方は互いに全然違っていて、それをネタにした本まで出ていると。
それを聞いて子育てが国によって違っているってほんと面白いな!と感じると同時に、「あー、もろにステレオタイプに陥っていたなぁ」、と自分の不明が恥ずかしくなりました。
一つは、「世界の常識、日本の非常識」みたいな考え方を半ば無意識に当てはめようとしていたこと。
そしてもうひとつは、曖昧な言葉を使って思考停止しとったなーと。
そもそも、「世界」ってなんやねん?
世界の常識って言葉、よく目にします。日本はだからダメなんだ、みたいな文脈でよく使います。
でも例えば、自分が業務で世界各地域・各国のプロジェクト担当者と議論する、みたいな場面の時にいつも感じていたのは、
国によってマーケットの特性も、ビジネスニーズも、全然違うこと。
というか、
世界とか欧米とか、ひとかたまりになっているものなんてないやん。
というごくごく当たり前のこと。
似たような言葉は、子供との会話とかでもよく出てきます。
「だって、みんな言ってるもん!」
この場合、クラス全員が言ってることはほとんどなく、だいたい自分の友だち数名の話だったりしますよね。
世界とかみんなって言葉は、自分もよく使ってしまうのですが、要は
抽象度が高すぎるんですよね。
まー、よくある分類ですが、こんな感じで
上にいけばいくほど抽象度が高くなるという。
まとめると今回陥っていたのは、
– 自分が既に持っている知識に合致するように、情報を解釈しようとした。
– 抽象度が高すぎることを意識してなかった。
このへんが根っこにありそうです。
仕事だとごく当たり前のことなんですよね。概念のレベルをあわせるとか。抽象度が高すぎると具体策が打てないから、定量的・具体的に物事を把握するとか。
ダメですな。反省反省。自戒を込めて。
こんなことでは世界の潮流に置いてけぼりにされますわ!なあ、みんな!?
ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)