受け継がれない記憶。

昨日は90歳になるおじいさんからじっくりと話を聴く機会がありました。



お世辞ではなく、見た目も受け答えもどこからどう見ても70歳代にしか見えない、めちゃくちゃ元気で明るい方。

昭和10年〜25年(1935年〜1950年)ぐらいの新聞の切り抜きや配給切符を見せてもらいながら、戦前、戦後の色んな話をしてくれました。



特に生々しかったのが、シベリア抑留から帰国して港に着いたとき、役所かどこかから渡された「長い間お勤めご苦労さまでした。」と印字された紙を見せてもらったことです(個人情報が記載されているので写真は割愛)。

そういうディティールと、その時の記憶を鮮やかに語る姿を見て、過去はフィクションではないこと、歴史とは教科書に書かれた机上のものではなく、間違いなく実在したリアルな時間であり、そしてそこから地続きに今がある。そんな当たり前のことに気づかされました。

 

◯ 戦争の話はしない

体に銃痕があり、長いシベリア抑留を経験した方です。

途中、話の流れとしても自然と、従軍されていた第二次世界大戦の話を聞いてみたのですが、「いや、戦争の話はしない。」とキッパリと拒否されてしまいました。

理由を聴くと、

「伝わらないから。どれほど言葉で伝えても、あの異常な状況を理解はできないだろう。」

戦争は二度とやっちゃならん。当時の人はそう感じて、戦後それを次の世代にみんなが必死で伝えてきたのに。それでもやはり記憶が風化してきているのが悲しい、と。

その伝わらないことに対する諦めと、

伝えられない歯がゆさと、

でも伝えたい、伝えなければいけない、

という想いの中で揺れていらっしゃるようで、そのお姿を見てなんとも言えない気持ちになりました。

ご本人が固辞されており、しかも元々お時間を頂いた趣旨とは違う話であったため、軽々しく深入りすべき話ではないと判断し、その場はそれ以上お伺いせず話題を変えました。



◯受け継がれない記憶

人間と動物を分けるものの一つは、世代を超えた知識の伝承であり、過去から学ぶことで社会全体としては、進化してきたはず。

一方で、目の前のおじいさんの貴重な記憶が伝わらない、残らない、そのもどかしさ。

でも、人間の歴史はそういった想いを常に乗り越えてきたものだとも言えます。過去、絶対に不可能だと思われていたことがどれだけ実現してきたことか。

今はまだ、本当に微かな、まだ萌芽とも呼べないものかも知れませんが。

自分が死んだとき何を残したいですか?:MIT 石井裕教授 「未来記憶」【梶原健司】 : TechWave

”石井教授はクラウド上にお母さまのお墓をつくっている。TwitterのBotをつくり、生前よくお母さまが自作していた短歌をランダムにそのBotがつぶやくようにしているのだ。お花はそのTwitter botをフォローしている方から贈られたものだった。

 「母が生きている。そんな感覚でした。僕はそのことにとても感動しました。」

「人間というものは有限の存在です。死んだらその人自身の記憶もなくなってしまうし、さらには時間が経つと、その人に対する周囲の記憶も薄れていってしまう。しかし、この命日にお花が届いたことがきっかけで個人のメッセージや思想が、その人の死後も永遠に世界に良い影響を与える「可能性」を感じたのです。”

 

今の我々の生活があるのは、間違いなく先人たちの営為の積み重ねであり、意識するにせよしないにせよ、現代に生きる我々は、過去からのバトンを受け継いできています。

そのことは忘れてはいけないし、次の世代にどんな形でバトンを渡せるのだろうか、大きなことじゃなくていい、自分にできることは何なのか、そのことを考えさせられた時間でした。

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