自分を好きになんてならなくていい。

別にこれといって何かがあったわけではないのですが、普段思うことを備忘録的につらつらと。

代えられないものに対して思い悩むことほど無駄なことはありません。

例えば、自分以外の人にはなれませんし、自分が生まれてきたこの現代以外の時代にタイムスリップもできません。

どうにも代えられないものであれば、ないものねだりをするよりも、良いところを見つけたり、あるものを探してそれを使って頑張るしかない。

極論すれば、無人島に流れ着いたら、電気や食料がないことを嘆くより、今あるものを使って生き延びることを考える、みたいなものです。

いや、普段そこまで悲観的には全く考えていませんが(笑)

・・・

まーでも、別人にはなれないし、別の時代や土地には生まれ変われないのに、恨み節が出そうなことはありますな。

なんでオレ、こんなことすらできないんだろう?

とか

英語がネイティブの国に生まれてたらなぁ。

とか、いろいろ。

あれ?ない? 自分は、昔は結構思ってたなぁ。




たまに、自分のことを好きになろう、ということを言う人がいますが、個人的にはちょっとしっくりきません。

好きとか嫌いという感情は生理的なもので、意思では選択できないので。

例えば私は餃子が大好きですが、理由を問われて味が好きだからと説明できても、なぜその味が好きかは説明できません。

逆に、嫌いになれと言われても、嫌いなフリはできてもたぶんこの気持ちは抑えられない(笑)

好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。

そしてそれは対象がモノだろうが、他者だろうが、自分自身だろうが結局は同じこと。

一方で、対象の良いところを見つけよう、という行為は、行動なので自分の意思でコントロールできる。

だから、無理に好きになろうとしたり、ないものに目を向けるより、やはり

良いところはどこなのか? 今あるものは何なのか?

そこに常に目を向け続ける行為が、あまりに基本的なこととはいえ、やっぱり大事だなと思います。

どうしてもソリが合わない人がいて、その人の良いところを見つけようとしてもどうしても見つけられない!(泣)って場合は、出来る限り付き合わないようにすれば良いですが、自分自身とか、今の時代に生きてること自体は、 どうにも代わりがありませんからね。

自分を憐れむことほど無駄なことはない。だったら、自分の歌を精一杯歌おうぜ!ということですな。

他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ。 | カジケンブログ




ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)