「どうやるべきか?」ではなく「どうあるべきか?」

よく目や耳にしたりする言葉でも、実はあまり意味を理解しておらず、月日を重ねて「あー、なるほど。こういうことなのか。」と気づき始めることがあります。

最近、すごく意識し、大切にしている考え方は、

「どうやるべきか?」ではなく「どうあるべきか?」です。
 

【どうやるべきか】

– 相手・対象次第で行動を変える

– 個別の行動による結果を具体的に想定している

– 行動からその結果までが「短期間」

– 結果が得られる確実性が高い

 

【どうあるべきか】

– 相手・対象によって態度を変えない

– 何が得られるか想定しない

– 個別の行動からその結果までが「長期間」 or 結果はよく分からない

– 確実に結果が得られる保証はない

 

以前ご紹介した、奥田浩美さんのチャンスと回転寿司を例にとると、

チャンスと回転寿司。 | カジケンブログ

「どうやるべきか」というのは、

相手からの見返りを、何をどうやったら得られそうかをその都度考え、相手に便益を図るような行動パターンです。ビジネスの世界では、Win-Winとか、バーターとかしょっちゅう使ってますね。

対して、

上記奥田さんの例え話がまさにそうなのですが、

「どうあるべきか」というのは、

相手から何が得られるかは具体的に想定せず(というかできない)、とにかく関わる人みんなに対して、常に何かチャンスを提供できないか、と試みる姿勢のこと。




どうやるべきか、という考え方がダメというつもりは毛頭なく、例えばビジネスにおいては期間内での投資対効果を最大化するべく、常により良いやり方を模索し続けることが求められます。

効率と言い換えてもいいでしょう。例えば、10の投資に対して100のリターンよりも1000のリターンが得られるよう、または、10の投資よりも1の投資で同じ100のリターンが得られるよう心掛ける姿勢。

だけど人生において、何をどうやるべきかばかりを考えていては片手落ち。

他の例でブログを考えてみれば、どうやるべきかは、毎日のPV数、UU数、そして何かマネタイズの仕組み(広告、アフィリエイトなど)があれば、そのコンバージョン率をどうやって増やしていくか、ということ。

どうあるべきかは、そういった数字に一喜一憂せず、ひたすら継続していく姿勢。自分の中で原理原則としてDo’s(例:毎日書く)と Dont’s(例:炎上を狙わない)を決め、それを愚直に守り続けること。

短期的な因果関係は、ある程度結果が想定できるものがほとんどです。

だけど、長期的なものは因果関係が複雑になりすぎて、自分の行動の一つ一つが最終的にそれぞれどういう結果に結びついていくかは、事前に予想できないものばかり。

上述のチャンスと回転寿司にしたって、たとえ誰かにチャンスを回したとして、自分にどんなものが回ってくるかなんて分かりませんし、おそらくほとんどの場合相手からは何も回って来なかったりするでしょう。

見返りを求めない姿勢が大事とか言ったりしますが、厳密には見返りを求めようにも求めることがそもそも不可能なことって、実は結構たくさんあるように思います。

それでもやり続ける、というものは、その人の根っこに近い「ありかた」でしょう。

そしてそれは、自分の生来の性格や価値観の上に、自分の意志と行動で新たに組み込んでいけるものなのだと、最近すごく感じています。

自分の周囲を見渡してみて、私が尊敬する人はみな、このどうあるべきかを常に考えているように思います。そしてその姿勢に敬意を持ち憧れていたのだなぁ、と気づいたのです。

そういった人たちを見るにつけ、ぐっと俯瞰して長い目で見た場合、「どうやるべきか」ばかりを考えているよりも「どうあるべきか」を真剣に意識し実践することが、自分自身にもっとも良い影響を与えてくれるのではないだろうか、とそんなことを思っています。




ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)