今は全くしなくなりましたが、私は子供の頃から根っからのゲーム大好きっ子でした(笑)
流行り始めた頃に親にファミコンを買ってもらえず、友達の家に押しかけ、晩飯の時間ぎりぎりまで彼のファミコンを私が独占し続けるなんてことがあったなぁ(遠い目
そんな自分が今から十数年前、パソコンのあるオンラインゲームにハマっていたことがあります。
その名は「Ultima Online(ウルティマオンライン)」。
MMORPG(多人数でプレーするオンラインRPG)の元祖であり、今でも根強い人気を誇ります。今ではこういう多人数プレーは珍しい形態ではなくなりましたが、当時の衝撃を言葉で表すと、
「うおお!!! これ、ドラクエの街の中で動いている人たちが、全員だれか人間が操作してるってことやん!?!」
(厳密にはPC操作もいますが、実質的にはほぼ全員誰かしら人が操作するキャラです)
画面は2Dに毛が生えたようなもので、現代のゲームに比べると派手さは全くないですが、とにかく世界観とゲームデザインが秀逸でした。
このゲームが画期的だったのは戦闘を一切しなくてもめちゃくちゃ楽しめるゲームデザインだったこと。自由度が異常に高くやれることが本当に多種多様。
商店を運営している人もいれば、宴会ばっかりしている人もいれば、家の内装にひたすら凝っている人もいたり。
本当にその世界に住んでいるような感覚を味わえるゲームでした。しかも数千人が同時に一つの世界で一緒に遊べるので、本当に色んな人がいたんですよね(例えばセカンドライフは1サーバあたり数十人のみ)。
19時ぐらいから翌日3時4時まで毎日ずーっとやってましたねぇ。懐かしい。
会ったことがないのに相手のことが分かり始める。
面白いのは、そういった非日常だけれど、リアル世界と変わらないような世界にいると、毎日一緒に遊んでいる人の人格が確実に一部透けて見えるようになること。
当時の仲間たちのほとんどは、互いに実名はおろか、職業、年齢、住んでいる場所などは知りません。(あとからリアルで一緒に遊ぶようになり知ったりすることはあります)
でも、日々一緒に行動する中で、相手の言動や振る舞いの中から、性格(ポジ・ネガ、大雑把・几帳面、真面目・不真面目)や価値観など、全てではないですがはっきりと分かるようになります。そして相性の有無や、この人は信頼できるできないということまで。
ちなみに私の周りでこのゲームがきっかけで結婚する人が出たときは本当にびっくりした。(私は全く無縁でしたが・笑)
いずれにしても、この
「リアルの知り合いではなくても、リアルのことを話さなくても、ネットを介して人と人は繋がれるし、仲良くなれるし、ときには信頼関係すら結べる」
という経験は、個人的にはかなり衝撃でした。(パソコン通信をやっていた人はおそらくお持ちかも知れませんが)
え?でも、ゲームでしょ?
いや、もちろん(笑)
ある意味、こういったゲームが好きな人は世の中的には(少なくとも当時は)かなりマイノリティですし、そうだからこそ共鳴する部分があったりするのでしょう。
当時、周りにこのゲームのことを必死に力説しても、全く共感を得られずリアル友人を誰も結局引き込むことができなかったことを覚えています・・・
時代は確実にある方向に進んでいく。
ただあれから15年近く経ち、
「リアルの知り合いではなくても、ネットを介して人と人は繋がれるし、信頼関係すら結べる」
というシーンが、程度の差こそあれゲーム以外の世界でも確実に増えてきていることを、強く実感します。
例えば下記は、カウチサーフィンを何度も利用されている方のコメントです。
ネットの向こう側の人をリアルに想像できるか:翡翠輝子の招福日記
”プリズムを持っていない人の反応は、「一度も会ったこともない外国人を自宅に泊めて、大丈夫なの?」というものです。「会ったことはなくても、ネット上のやりとりで、どんな人か判断できる。それにカウチサーフィンにはリファレンスのシステムがあるから、その人がこれまで泊まったり泊めてあげた人からの評価を読めば信頼できるかどうかわかる」と説明しても、「そんなの、いくらでもごまかせるじゃない」と反論されます。”
〜中略〜
”カウチサーフィンで初対面の外国人を泊めるのもリスキーですが、海外で初対面の人の自宅に泊まるのだって同じようにリスキーです。私の場合は、まず最初に自分がホストして、好ましい関係を作った人の家に泊めてもらいます。そして、ホストしていなくても、何通ものメールのやりとりを重ねて信頼関係ができた人のところにも泊まります。”
〜中略〜
”すべてが準備されたパッケージツアーに比べればリスクはあるでしょうが、旅から得られる経験は何倍も濃いものになると思います。”
誤解して頂きたくないのは、例えばゲームで知り合った人はリアルと同じレベルで信頼できるんやで!?みたいなことではないのです。人によりますが、正直ほとんどの場合はそこまでのレベルまでにはならない。
ただ私がはっきりと言えるのは、昔は(ゲームなどの)超限定されたレイヤーでしか起きていなかったことが、少しずつ、しかし確実に、一般化されつつある、ということ。
理由は色々あるでしょうが、大事なことはこれまでの変化の度合いとベクトルの向かう先。
少なくともこの10年以上、一貫してその一般化は進んできたと思います。
自分の在り方が変わっていく。
唯一無二の「本当の自分」というのはある意味幻想で、社会的に何かと接続する際に見せる顔の多面体がその人なのだと思います。
そして今まではその面と成り得る役割を、限られた時間の中で同時にたくさん持つことは難しかった。例えばネットが今ほど普及していなかった15年前に30代だった人だと、平日は自宅と会社の往復がほとんどで、会社内での顔と家庭内での顔(夫、父親)の2つを日常生活では使い分けていたことでしょう。
しかし今では(SNSの影響が大きいですが)大学の同級生に対する顔、以前の勤務先に対する顔、参加している勉強会の参加者に対する顔、本職以外で関わるプロジェクトのメンバーに対する顔, etc…
一日の間であっても目まぐるしく色んな顔をオンライン上で使い分けている人は多いはず。
それがこれから様々なオンライン上での場(つまりプラットフォーム)が出てくることで、多面体の面がもっと増えていく。
個体としては一つの存在であることには変わりないのだけれど、より様々な面を持てるようになり、社会と繋がることができる。
それを佐々木俊尚さんはレイヤーと表現していて、複数のレイヤーが多数重なったところに光があたる、そのプリズムのような光の帯がこれからの人間の在り方だろうとおっしゃっています。
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では、具体的にどんなプラットフォームやサービスが出てくるのか?
分かりません(笑)
一部のビジョナリーを除き、ブログの普及やSNSの勃興を事前に予期できた人がほとんどいなかったように、具体的にどんなソリューションが出てくるかは正直想像もできません。
ただ今までと同様、何かが出てくるのは間違いないでしょうし、だからこそその大きな流れをおさえておき、リテラシーをつけておくことが肝要だと思うのです。
ゲームから足を洗ってしまった今(笑)、私にとってはそれがブログでありソーシャルメディアであったりします。
物心ついた時にはネットや携帯があった10~20代の人は、おそらく自然にこの感覚を持っていると思うので、それに加えてもっと社会を構造的、メタ的に捉えることで、こういった感覚を戦略的にさらに磨き活用していくべきでしょう。
また30代以降の人でもし感覚がない人は、たとえばリアルで圧倒的な強みを築き、そんなの気にせず活動していくというのも一つですし、今から感覚を身につけるべくトライアンドエラーを重ねていくというのもありです。
いずれにしても、このトレンドに対してどういうポジションをとるべきか誰もが一度は真剣に考えるべきではないかと思っています。
これからの10年が楽しみです。
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