昨日、六本木でお会いしたグラフィックデザイナーの方から、強く薦められたのでその足で新国立美術館に行って来ました。いやー、おもしろかった!

ANDREAS GURSKY | アンドレアス・グルスキー展
以下、個展のWebサイト「見どころ」パートより冒頭の文章を抜粋。
“ドイツの現代写真を代表する写真家、アンドレアス・グルスキー(1955年–)による日本初の個展を開催します。 ドイツ写真の伝統から出発したグルスキーは、デジタル化が進んだ現代社会に相応しい、すべてが等価に広がる独特の視覚世界を構築し、国際的な注目を集めてきました。”
具体的な作品は下記のリンクからどうぞ。
【史上最高額の写真家】アンドレアス・グルスキー【画像集】 – NAVER まとめ
昨年、作品である写真の1つが史上最高額の430万ドル(当時で約3億4000万円)で落札されたことでも話題となりました。
著名な写真家なので、個展に行ったことをFacebookで投稿したら、友人が何人か既に鑑賞済みであることが分かりましたが、そのコメントの1つが言い得て妙でした。
”あらためて、人間の眼ってうまいことできているなぁ、と再認識させられました。変態的なスーパーリアルは、情報量が多すぎてクラクラ。。。”
そうなんですよね。人間の眼は基本的にどこかに焦点が合っているので、それ以外の部分は周辺視野としてぼんやりとしか視認できません。要は意識的または無意識的に眼とそして脳が外界からの情報を取捨選択しているんですよね。
しかしアンドレアス・グルスキーの写真は、デジタル加工や合成により作品のあらゆる箇所にピントがはっきりと定まっているような作品が多いです。
リンク先にありますが、作品の1つにある「アメリカの100円ショップの店内写真」。膨大な商品が画面の端から端、手前から奥までぎっしりと陳列されていますが、それら全ての商品がぼやけることなく、はっきりと視認できます。
絵であればそういう世界観はあり得るのでしょうが、彼の作品は見た目が完全に写真なのです。だから現実世界のある瞬間を切り取っているだけのように見えるのに、実際はどこか現実感がない。まさにスーパーリアル。
これ、パソコンやカタログで見ても体感できないと思います。一覧したときの不思議な感覚。そして幅も奥行きもあるのにどれだけ細部に目を凝らしても、どこまでもくっきりと被写体が写っている異常さ。そのどれも実際に巨大な実物を目の前にして初めて分かりました。
いや、人間の眼と脳が普段は現実世界の中から情報を取捨選択しているだけであって、実は異常なのではなく、世界を本当に「客観的に認識」できるとしたら、こんな風に見えるのかも知れません。
ベタな表現で言えば、神の視点。
(もちろん作品としてある構図と瞬間を選択している時点でそれは作者による情報選択ではあるし、作品のどの部分を注視するかは鑑賞者の選択ではあるのですが、それはまた別議論として)
それは裏を返すと、人間は主観というものからは絶対に逃れられない、ということです。
そのことを改めて自覚させられた鑑賞体験でした。
人が普段認識している世界がいかに情報が省略されたものなのか、ありのままに見ているようで見えていないものか。
何を選択し何を省略するのかに、その人の癖、経験、意志、願望、期待、価値観、偏見などがどうしても入り込んでくる。つまり人がそれぞれ見ている世界は、全く同じではなく、常にその人の主観によって少しずつ異なっている。
当たり前のことなんですけどね。忘れがちなこと。
それを理屈ではなく、感覚として体験させてもらった気がします。いやー、おもしろかった!
六本木の新国立劇場で9月16日までやっているので、東京在住の方はぜひ。
大阪でも国立国際美術館で2014年2月11日-5月11日でやるそうです。
ANDREAS GURSKY | アンドレアス・グルスキー展
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