この世界で真理(どこでもだれにでも当てはまるもの)と呼べるものはそんなに多くはありませんが、あらゆるものは変化し続けるということは、まず間違いないでしょう。
それは時間という概念がある以上、必然的な現象だと思います。
(時間が人間の感覚による主観的な存在なのか、人間とは無関係の客観的な存在なのかは議論がありますが、ここでは置いておきます)
音楽などの時間芸術をやったことがある人にとっては当たり前のことですが、時間の経過というのは本質的には「変化」で表現します。
たとえば同じ10秒間であっても、その中に5秒の音が二つあるのと、1秒の音が10連続で出てくるのとでは、明らかに後者のほうが「速く」感じます。
AからBに対しての差分があるからこそ、人間はそこに時間を感じるのです。ま、当たり前ですな。全てが変化してなければ、それって完全に世界が止まっているってことなので。
いずれにしても、死なないもの、壊れないものが存在しない以上、時間の呪縛から逃れられる存在はなく、あらゆるものは変化し続ける。
つまり変化というものは不可避であり、毎日あらゆるところで起きている。
そう世界を捉えたときに、とても大事な考え方は、
「自分の望む変化の割合を、その中でどうやって増やしていくか?」
だと思います。
自分が全く何もしなくても、自分の身体は成長・老化していきますし、自分以外の世界もどんどん変化していきます。
それに加えて、他者は自分が望む変化を作ろうとしていますし、自分がそれに巻き込まれることもあるでしょう。
自分が何もしなかったとして、起きる変化の全ては100%勝手に起きているもの。望むと望まざるとに関わらず。
今、身の回りで起きている変化で自分が本当に意志を持ってコントロールできるものは何か?と真剣に考えてみたとき、意外なほど少ないことに驚いたことがあります。
だからこそ、その中でほんの少し。1%でも良い。自分の意志で起こした変化を増やしていく。
たとえば、先日Facebookページへのいいね!が1,000を超えたことは、私にとっては結構大きな意味があります。
1,000という数字自体は一つの節目以上の意味はないのですが、少なくともその1,000人の人たちに対して、ポジティブな何かを(一瞬かも知れませんが)感じてもらえた証です。そしてそれは誰の意志でもなく、私が望んで起こした変化なのです。しかも、一日では決して成し得なかったこと。毎日積み重ねてきたことの証でもあります。
プラスの痕跡を残す習慣。 | カジケンブログ
そうやって自分が望んで起こした変化が、一つの節目を超えるぐらいまでに蓄積されたことがとても嬉しいのです。
以前も似たようなことを書きましたが、一日のうちでその「自分の意志で起こした変化の比率」が高いほど、日々の生活の満足感は高くなっていくように思います。
自分の人生のハンドルを握る。 | カジケンブログ
ブログを例にあげましたが、別に何だって構わない。
大事なことは、自分の目に見える形で、その変化を日々認識できる仕組みにしておくこと。
それさえ出来れば、あとは愚直に積み重ねていくのみじゃないかと思っています。
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