大切な人との時間はあとどれぐらい残っているのだろう。

今日で20記事目みたいです。いつの間に!という感じです。読んで頂いて本当に感謝です。

とはいえ、まだまだ色々手探りなのですが、今日はちょっとまた別の感じで短めに。




ある日ふと思い立って、自分にとって大切な人たちと、生きている間にあと何回会えるかなぁ?と計算してみたことがあります。

あ、おかげさまで全然健康ですよ(笑)なんかそういうことを、たまに真面目にやっちゃうタイプの人間なんです、私。

海外在住の友人もいて、ヘタしたら5年とか会ってなかったり。このペースでいったら、自分が元気なうちで会うのってあと数回ぐらい!?みたいな人も結構いて。

そして一番ショックだったのは、やはり親です。

幸いにして二人共ピンピンしています。私は年にニ回ほど帰省していますが、一回3日間として1年で6日間。親があとどれぐらい元気でいてくれるか分かりませんが、15年と見積もって90日。

たった3ヶ月です。アップルで働いていたときはまさに四半期ベースで仕事していましたが、正直言って、四半期なんてあっという間。自分で計算してみて、ちょっと愕然としました。

どんなことにも言えますが、たとえ知識を得ても、何かを理解しても、結局アウトプットという意味で、自分の行動に何かしら変化が起きないと何も意味はないんですよね。

でもあの時計算してみて、出てきた数字にショックを受けて、それから行動が確実に変わりました。

そんなことしないと親や友人のありがたみが分からんのか!と思われる方いらっしゃるかも知れません。すいません。。。

あと、お前そんなこと言うけど、前と全然変わってないじゃないか!というリアル友人のみなさま、ごめんなさい。。。

別に、同じことをやれ!とかそんな偉そうなことを言いたいわけではありません。

ただ人間って、たとえそれが自分にとってとても大事なものだとしても、それが有限で希少なものだと認識できなければ、価値を感じられないんですよね。

空気とか水と同じで。

今回は、「大切な人との時間」。

とても大切だけど自分にとって当たり前のものをどれだけ大事にできるか。

この感覚を持てるか持てないかって、生きていく上ですごく大切なことなのだと思うのです。うまく言葉にできないのですが。

大好きな糸井重里さんがやっているほぼ日のトップにいつもあるこの言葉が、一つのヒントかも知れません。

「いつか無くなるものを求めちゃいかんのだよ。

無くなるものは、求めるためではなく、

そいつで遊ぶために、この世にあるんだからな」

(『セフティ・マッチの金の言葉』より)

http://www.1101.com/index.html

なまにえのまま、今日は置いていきます。ご意見、ご感想あればなんなりとお聞かせください。

P.S.
Facebookページ、こっそり始めてみました。

ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)