ネットと包丁。

先日、田端信太郎さんの新著について書評記事を書いてみましたが、いろいろと自分的には面白かったです。

1. 書評を書くことは生産性が素晴らしく高い。
本の素材の一部であったアドタイの連載が非常に面白かったため、内容にきっと外れはないはず!ということで、今回は最初から書評を書くと決めた上で、本を読み始めました。大正解でした。

– 読む時の集中力が段違い。

感覚的には普段と数倍は違います。プレゼンすると決まっていて資料を読み込む時と同じですね。(もちろん小説みたいな個人の愉しみで読むものは別です)

– 色んな人の書評がめちゃくちゃ参考になった。

さすが田端さんで、ちきりんさん始め、有名な方が書評を書いています。ある意味、料理の鉄人で、同じ素材を使って一流料理人が腕をふるいあうみたいな感じですよね。これがかなり面白かった。「そんな見方もあるのか。なるほどなー!」という発見が当然ある中で、やはり自分も一度同じ素材で一般人ながら挑戦(書評を書くことを)してると、腑に落ちる感覚が全然違います。料理を自分でするようになったら、いつも食べてる料理の味付けとか素材のこととかが急にわかるようになってきた、みたいな。

↓参考:書評まとめ
(料理の鉄人達に一人だけ一般人の主婦が紛れ込んじゃった、みたいな感じになっており大変恐縮ですが・・・)
まとめると、対時間あたりの生産性という意味で素晴らしい経験でした。普通に淡々と本を読むのとは比べ物にならないぐらい、この本について「早く」「深く」理解できたと感じています。参加したことはありませんが、読書会とかも同じような感じなのだと思います。
「公共の場」に「自分の見解」を「公開する」と決めてから、何かを学ぶというのはやはり非常に身になりますね。
スポーツをやる人にとっては、何かの大会に出ると決める。楽器を演る人であれば、コンサートをやると決める。そうすると日々の練習の密度が濃くなる。
共通するポイントは、まずアウトプットする(=書評を書く&大会に出るなど)と最初に決めておくこと。
そういえばこの前、大学の英語の授業にちょっとお邪魔したのですが、TEDを教材として使っていて、実際にTEDの本家英語サイトに、自分の感想を書き込ませるのを必須にしていたのを思い出しました。これなんかも一つのやり方ですよね。
インプットはアウトプットを前提とすべし!というのはよく言われることですが、今回もそれを実感しました。
知っている人にはそんなの当たり前、みたいなことだとは思いますが、改めて体感できたのは自分にとって大きかったです。

2. ブログの価値はこれから(ちょびっと!?)上がるかも。
Facebook, TwitterなどのSNSの浸透で、何かについて語ることは簡単になりましたが、長めの文章を書きづらいのと、せっかく書いてもその場限りのフローで流れていきがち。

よく言われることですが、ブログだとストックされるし、NAVERまとめなどのキュレーションサイトがこれからさらに人気になっていきそうで、親和性が高いブログの価値は上がるかも。

もちろんみんながみんなブログを始めるとは思いませんが、スマホの普及で隙間時間がどんどん削られて受動的な情報受信になりやすい昨今、書く機会を設けることが物事の理解を深めるツールとして使えるのでは、と思います。

あと昔に比べて、SNSのおかげでブログの更新を自分の友人・知人に告知しやすくなりましたよね。昔だったらRSS登録(プル:登録しないと見てもらえない。)かメール配信(プッシュ:強制的にメールボックスに届くので人によっては嫌がられる。)しかなかった。いまのゆるい感じで、ニュースフィードやタイムラインに流せるのは良いと思います(自己肯定が多分に入っておりますが・・・)。

3. ネットと包丁って似てるかも。
素晴らしい包丁さばきで料理を作って人を楽しませるように、例えばちきりんさんのように、ある素材(本)を使って素晴らしい料理(ブログで書評)を作って誰かを楽しませたりすることもできますし、私の最初の例のように自分の滋養にすることもできます。

一方でネット上のコミュニケーションに感情がどんどん乗るようになり、脊髄反射の発言で人を簡単に傷つけたりもします。

(他人や自分のためになる)料理にも使えるし、人を傷つけることにも使えるって意味で、包丁と似てるような気がします。

包丁自体に罪はなくて、それをどう使いこなすのか、その人のリテラシー、人間性、価値観が問われるのだろうな、と改めて感じた次第。

ということで、本も面白かったし、色々勉強になった、自分的にはとてもよい読書体験でした。

P.S.
Facebookページ、こっそり始めてみました。

ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)