未来に想いを馳せるためにいつも思い返す一つの図。

以前、尊敬する先輩と白熱した議論を交わしていたときに、なぜか

「4次元」

の話になったことがあります(笑)

その時、先輩が書いてくれた4次元を図示したものは、特殊相対性理論のミンコフスキー空間と呼ばれるものを、2次元に分かりやすく書きなおしてくれたものでした。

厳密性は失われますが、分かりやすかった。本当は光円錐と呼ばれる3次元の空間と1次元の時間を組み合わせるものが正確なものです。まさに時空間。ちなみにこんなやつ。

World_line.svg

光円錐 – Wikipedia

で、先輩が書いてくれた2次元バージョンを思い出すとこんな感じ。

カジケンブログ資料.044 (1)

縦軸は時間の進行で、横軸は各時間における空間の広がりと考えてください。

斜めに伸びている線は、現在からの時間の進み具合によって、光の速さで到達できる空間上の到達点です。

光の速さより速く物質が動くことは出来ませんから、現在という点を出発点として、1秒後、1分後、1時間後の未来にそれぞれ目を向けたとき、到達できる領域が広がっていることがわかります。そして、ベクトルを真逆に向け、過去を見返してもそれは同じこと。現在の地点に到達しようと思ったら、これだけの領域の中から現在点に到達する可能性があるわけです。

厳密な定義は置いておきますが、私が非常に感銘を受けたのは、現在という点を収束点として、過去と未来に可能性の空間が広がっているその概念です。(物理学の専門家からしたら、定義が違うとツッコまれるかも知れませんが、ご容赦のほど・笑)

物理空間以外に、実社会に応用して考えてみると面白い。

さっきまでごく普通の人だったのに、1秒後にいきなりスーパーマンになった人なんていませんよね。

物理空間では光の速度以上には動けないのと同じように、自分の能力や環境だって、変化のスピードには上限がある。

で、未来から過去に目を移しても同じこと。

1秒前まで子供だったのに、いきなり大人になったって人いません。
(いや、メルモちゃんはちょっと・・・って年がバレますな)

どんなに凄い能力を持った人であっても、いきなり今の状態になったわけではありません。

例えば、もの凄く努力をしてnon-nativeとしては最高レベルの英語が身についた人がいたとします。

その人は1秒前はどうだったでしょう?

1時間前は?

1日前は?

考えてみれば当たり前のことですが、ある日突然人が変わったようにペラペラ喋り出したことは現実的にはないでしょう。

自分が到達しうる可能性というのは本来は時間の経過と共に広がっていく。だからこそ、時間を味方につけ、現在という瞬間を積み重ねていくことが大事なのだと思います。

あの羨望と嫉妬と尊敬と悔しさが入り混じった感情に名前をつけたい。 | カジケンブログ




ある存在、例えば自分という存在は、ある可能性の中から現在という点に収束し、そして現在という点から未来に向かって、時間の経過と共に広がる可能性の空間にいる。

つまり、現在という点から過去と未来を見通したとき、自分がなり得た or なり得る可能性というのは、(自分の想像力によりますが)現在という一点からずばーっと万華鏡のようにイメージできるわけです。

ただ残念ながら、現在の科学技術では過去に人間が遡ることは出来ません。

であるならば、物理学としての厳密さは置いておき、人間の認識としては、こんな感じと捉えるのが現実的でしょう。

カジケンブログ資料.045 (1)

過去はやり直せない。太い実線のように既に確定している。

ま、当たり前ですね(笑)

だけど、気づくと確定した過去のことで思い悩んだりすることが何度もある。

「なんであんなバカなことをしたんだろう。」

「あのときこういう選択をすれば、俺はこうなっていたんじゃないか。」

「あいつのあの言動、許せないな。くそー。」

・・・

過去を反省し、それが未来に活かせているのであれば、問題はないですが、ただただ過去を振り返り、ネガティブな感情に包まれるだけ、そんな状態を意外なほど繰り返して、時間とエネルギーを浪費していたりします。

そうではなく、まだ確定していない「未来」、そして「現在」に目を向ける。集中する。そのことが大事だと思うのです。

前方に広がる「未来」に目を向け、自分として未来にどう有りたいのかその可能性を見据えて最大限、「現在」にエネルギーを注ぐ。




ただ、未来って可能性空間として広がっているけれど、その空間が自分には見えていない or 見ようとしていないことも多いです。

そのときにいつも思い返すのは、以前もご紹介した古賀洋吉さんの言葉。

古賀洋吉さんが熱く語る「自分のビジョンを持つこと」について。 – NAVER まとめ

時間の経過と共に、未来の可能性空間というのは広がっていく。それを見ようとするかどうかは自分の意志なのだと思います。




とはいえ純粋な物理的な存在と、人間は違います。人間は加齢と共にどこかのタイミングで、可能性が広がる幅は狭くなっていくでしょう。そういう意味では正確にはこんなイメージかも知れません。

カジケンブログ資料.046 (1)

可能性は無限大なんて幻想を言うつもりはありません。

図を見れば絶対に到達できない領域が両脇(白い部分)に広がっているわけだから、可能性が無限じゃないことは明らか(笑)

だけど、過去は一つ。事実のみ。でも、未来は少なくとも可能性として選択できる。

確定した過去を思い悩んだりすることなく、過去よりも未来に広がる可能性に、思考とエネルギーを最大限あてたい。

この図を思い返すたびに、自問しています。

「過去」に囚われていないか?

「未来」を見据えているか?

そして、未来につながる「現在」に集中出来ているか?

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ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)