例のごとくめっちゃ当たり前のことを書きます(笑)
どんなに本を読んでも。
どんなにセミナーや会食などで人から話しを聞いても。
どんなに素晴らしいインプットをしたとしても。
それが自分の中で咀嚼され、行動というアウトプットに繋がらなければ、何の意味もありません。
それだけでなく。
行動することには、もちろん動かないと何も始まらない、というアウトプットとしての意味合いが強いですが、一方で、インプットとしても、非常に重要だと思います。
他人の情報は、実は内容が限定的であること。
基本的に、他人に情報を伝えようとする場合、必ずその情報量はオリジナルのものと比べて、減ります。
分かりやすい例でいくと、
公園でカワイイ子犬を見かけた。
という文章があったとして、内容はもちろん伝わるのですが、
◯ どんな公園だったのか?地面は?土?芝生?大きさは?
◯ 子犬の大きさは?毛並みは?種類は?
◯ 何時ぐらいに見かけた?晴れ?曇り?飼い主は男?女?
こういう情報は、ごっそり落ちています。
さらに上記はほぼ視覚情報に寄っていますが、春の匂いみたいな他の五感情報や、その時の感情や思考に至っては、他人に共有するのは、相手との関係性によりますが、完璧には無理でしょう。
Puppy 4/20/2013 / jus10h
百聞は一見に如かず。
何が言いたいか、というと。
自分が体験したこと以外の、つまり他人の情報というのは、かなり抽象化されているのだ、ということを自覚する必要がある、ということです。
コミュニケーションに掛かるコストを最小限にし、円滑に他者に情報を伝えていくために、必然的にそうなっているのですが、無自覚なままだと、畳の上の水練になりかねません。
一方で、自らが行動し体験することの情報量というものは、莫大です。
本当に注意して自分の心を観察すると、何かを体験している時の五感+思考・感情というのは、それはもう、とんでもない量がうずまいていることがよくわかります。
それはどんな本にもブログにも書いていない、自分だけのものです。
強引にまとめますと、
行動をすることの一番のメリットは、行動をして初めて感得できる情報や感覚があり、そこから刺激を受けて、様々なことに気づくから。
最近、本当にそのことを強く思います。
毎日、自分に対して呼びかけています。
とにかく一歩でも良いので、行動してみよう。
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