人生におけるバタフライ効果のきっかけ。

このブログを読まれるような方は、ご存知だと思いますが、

バタフライ効果、というものがあります。

念のため書いておくと、ブラジルでの蝶の羽ばたき一つが、遠くテキサスで竜巻を引き起こすきっかけになり得る、とよく例えられますが、通常なら無視できると思われるような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となる現象のことを指します。

バタフライ効果 – Wikipedia

で、これもちょくちょく言われることですが、自分の経験を振り返った時に、人生の転機の芽みたいなものと似てるなぁと思ったので、書いておきます。

例えば、新卒から12年間勤めていたアップルを昨年辞めましたが、その一番最初のきっかけになったことは、

 

4年前に、1日10分掛けて日記をつけはじめたこと

 

です。

 

なんじゃそれ?とツッコまれそうですが(笑)

もちろん直接的な理由はありますが、その理由を生んだ理由を生んだ理由を・・・と真面目に遡っていくと、そこに行き着くんです、ほんとに。(全部書き始めると夜が明けるので、また別の機会に)

みんな大きな決断をどうするかをよく気にしますが、こういった日常にちょっとした変化を与えるきっかけが、後々大きな影響を及ぼすことって結構ある。

例えるなら、普段の生活って日常という恒星の重力に引っ張られる小惑星みたいなものだと思います。



毎日基本的に同じことの繰り返し。ぐるぐるぐるぐるルーティーンで廻ってる。

でも、そこに小さくても普段と違う変化を起こすと、重力からはずれてだんだんと別の軌道を描き始める。



もちろん毎度毎度こうはならないでしょうが、イメージとしてはこんな感じだと思うんです。

日常って退屈。だけど、やっぱり安定していて心地良いんですよねぇ。だから意識してないと重力に引っ張られて、ぐるぐる廻っちゃう。

がっつりと今の生活のままで安定していたんや!という人は全然それで良いと思います。ただ個人的には、変化が激しい世の中では、何かに安住せず変化し続けたほうが良いだろうと考えているので、やっぱりぐるぐる同じところを廻ってちゃいかんなと思っています。

で、自分の過去を振り返って、この軌道を外すきっかけになったのが、

やったほうがいいのはなんとなく分かっているけど、自分のプライドが邪魔してやってなかったこと。

例えば、

何かの勉強会に顔を出してみる。

(会ったことない)尊敬する人に会いに行く。

もちろん、日記を書くとかもそうでした。(いやなんかこの歳で日記ってどうなん?とか思ってたんですよ・・・)

実は行動に移すこと自体はたいしたことじゃない。だけど、恥ずかしい、怖い、恥かきたくない、みたいな理由でやってなかったこと。

他の人はどうか知りませんが、それが(少なくとも自分の)人生においてバタフライ効果を生み出すコツかもなぁ、と思いました。何かに参考になれば幸いです。




補足:実例:人生におけるバタフライ効果のきっかけ。 | カジケンブログ



ちなみにカジケンの会社、絶賛エンジニア募集中です!(笑)