人間誰しも、強い感情を何かに対して感じることがあります。
感動するという言葉は、「感」じて「動」く、というぐらいですから、この感情が湧いたときに、どこまでそれをうまく利用できるかが、その人の行動力を大きく左右します。
強い感情にはポジティブなものとネガティブなものがあり、そのどちらについても自分なりの考えを、過去書いてきました。
ポジティブの場合は、スーパーサイヤ人(笑)
スーパーサイヤ人になった時を絶対に逃さない。 | カジケンブログ
(なにげに100いいね!超えて、BLOGOS転載時にアクセスランキング Top 10入りした記事)
嫉妬のようなネガティブな感情の場合は、こちら。
嫉妬を感じたら、しめた!と思おう。 | カジケンブログ
(この記事も反響多かったです)
この2つの記事に共通するのは、強い感情が湧いたとき、いかに「衝動的」な反応ではなく、「自覚的」に行動を選択するか、というテーマです。
最近、ロボットにちょっと興味があるので色々調べていますが、外界からの刺激(インプット)に対して、それを情報処理して、反応(アウトプット)する、という意味では、人間もロボットも本質的な枠組みは変わりません。
ロボットが予め設定されたプログラム通りに動くとすれば、人間だってそれまでの経験、受けてきた教育、所属していた共同体での慣習などの「過去の積み重ね」がまるでプログラムのように働き、(半ば自動的に)刺激に対して反応している。そんなときが意外なほど多いのではないでしょうか。
特にネガティブな感情が湧いたとき、衝動的に反応してしまう誘惑に駆られることは誰にでもあると思います。私なんてしょっちゅうです。
そういう時、いつも思い出すのは7つの習慣に書いてあった言葉です。
超有名な本なので読まれた方とても多いと思いますが、私は社会人になりたての頃に人事部長に薦められ、正直に告白しますと4つ目の習慣までしか読了できず、長い間自分の中で封印していました。(歳を重ねた後、ようやっと読了しましたが・・・)
それでも最初の部分に出てきたこの言葉に、当時とても衝撃を受けたことを覚えています。それは、
人間は刺激と反応の間に選択の自由を持っている。
7つの習慣では、夜と霧を書いたヴィクトール・E・フランクルを例に挙げ、アウシュビッツ強制収容所でどれだけ悲惨な体験をしても(刺激を受けても)、それに無自覚に反応することなく、看守を含めた周囲の人達の大きな模範となっていった(反応を選択した)ことが紹介されています。
この選択の自由の中にこそ、人間のみが持つ素晴らしい特質があるのだ、と。
(ちなみにこの言葉を自分なりに咀嚼したのが冒頭の2つの記事って、お前どれだけ噛み砕いているんだって話ですが、それは置いておいて。)
もちろん刺激に対しての現状の反応パターン自体は、過去の経験の積み重ねによるものですから、これだってある意味自分のこれまでの様々な行動や選択の結果とも言えます。
しかしきちんと自覚しておかないと、その過去の積み重ねに自分自身の行動が縛られることにもなりかねません。
過去の積み重ねも自分ですが、 今この瞬間に自覚的に反応や行動を選択している自分こそが、ある意味、最新の自分。フロントランナー。
そういう意味では、大げさかも知れませんが、いつだって人間は過去を振り払える。新しい自分を選択できる。極端な話、生まれ変われる、とも言えるんじゃないかと思います。
次に強い刺激を受け感情が揺り動かされたとき、それに対してどういう反応をするのか。その選択を自覚的にしている自分でありたいものです。
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