備忘録も兼ねて。
プライドの定義って意外と曖昧なのですが、よく
「あの人は、プライドが高い。」
という言い方をします。
この場合の意味としては、周りから軽んじられることを嫌う、ということを指すでしょう。
つまり「他者」からどう見られているか、が基準になります。
一方で、「自分自身」が自分をどう見ているか、が基準のものもあります。
例外が許されてもいい特別な状況は? | カジケンブログ
上記記事から、イノベーションのジレンマを書いた、あのクリステンセン教授の言葉を一部、引用します。
(かつてレギュラーとしてバスケの大学選手権準決勝に進出したが、信仰上の理由により、周囲の反対を押し切って試合に出ないと決断したことを振り返り)
”それは、どこから見ても小さな決定だった。私の人生に何千回とある日曜日のなかの一つをどう過ごすかという問題にすぎない。もちろん理屈のうえでは、一度だけ誓いを破って、二度と破らないというのも可能だっただろう。””「この状況なら一度くらい許されるだろう」というこの誘惑に打ち勝ったことが、私の人生で最も重要な判断の一つであったことは間違いない。なぜかというと、人生は「例外が許されてもいい特別な状況」が果てしなく続くものだからである。”
”私がこのことから学んだ教訓は、自分のルールを100%守ることのほうが、98%守ることよりもたやすいということだ。”
こちらは周囲の目ではなく、自分自身が自分のことをどう見るか、という話。

believe in yourself / go ask alice . . .
人と人との間において信頼が築かれるのは、約束を守るからです。
クリステンセン教授の逸話は、自分が決めたことを自分で守る、自分に対する約束を守る、ということ。
そうすることで、人と人との間において信頼が築かれるように、自分自身に対する信頼感を築くことになる。つまり自分を信じる、すなわち自信がつくということでしょう。
他者からどう見られるかを気にし過ぎて、動けなくなるぐらいなら。
プライドなんて邪魔。捨てるべきです。
でも、
自分を信じることは捨てるべきではない。
だから。
プライドは捨てる。自信は捨てない。
取捨選択を間違えないようにしたいですね。
注:「自信」の代わりに「誇り」という表現を使っても良いですが、自分的には自分を尊敬するニュアンスが強い誇りというよりは、自分を信じる、という自信のほうがしっくりするので、こちらを使います。
また、「プライド」は自尊心という訳語があたったりするので、本来の語義としては他者の視線よりも自分自身の視線に重きが置かれていると思います。ただ日常で「プライド」という言葉が使用されるケースはたいがいの場合、他者視線の文脈なので、この記事ではそれを踏まえた語意として取り上げました。
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